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苦悩を野暮だと思った人間が示す行動様式を、紆余曲折と言う

「光琳の描いた絵からは『光琳菊』とか『光琳梅』という図案の名前さえも生まれ、そのデザインがアンコによって立体化されたものは、今でも和菓子屋に生き続けている。尾形光琳は、トップ・デザイナーでもあって、彼の残した画稿を見ると、『この人は本当に優秀なデザイナーだなァ』という気にもなる。もしかしたら、それが尾形光琳の一番の優れた才能だろう。《燕子花図屏風》は、見方を変えれば、『デザイナーの描いた絵』だったりもするのである。
尾形光琳は、おそらく、画家よりもデザイナーであることにおいてすぐれた人だった。彼の残した画稿を見ると、その対象の捉え方において、彼はほとんど現代画家である。『見ることにおいて緻密であり、処理することにおいて大胆である』─それがデザイナーに必要なものだが、それはそのまま、尾形光琳である。《燕子花図屏風》は、まさにその通りのものである。《小倉百人一首歌留多》も、まさしくそのような作品であり、《紅白梅図屏風》は、そのことを最も典型的に示すような、尾形光琳の到達点でもある。尾形光琳は、それが出来た人なのだけれども、それが一瞬にして出来た人ではない。結構な紆余曲折があった人なのである。紆余曲折が紆余曲折に見えず、苦労にも見えないのは、彼がお坊ちゃんだったからだろうが、苦悩しなくたって、人は紆余曲折ぐらいする。『苦悩を野暮だと思った人間が示す行動様式を、紆余曲折と言う』─こう言ったほうがいいくらいだが、尾形光琳は紆余曲折をする人なのである。だからこそ、《鳥獣写生帖》という“努力”があり、紆余曲折の道筋をそのまままに示して、尾形光琳は“さまざまな絵”を描くのである」

橋本治「紆余曲折するもの」
(『ひらがな日本美術史4』)


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