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“船乗りのおじさん”からのお土産─橋本治『冬暁』

橋本治四季四部作を季節ごとに読むプロジェクト第二弾『冬暁』を読了した。

タイトルは橋本治版「春はあけぼの」といった感じで、冬は厳しい寒さのなか夜が明ける、初日の出を思わせるような冬暁である。

中盤で『演劇界』に寄稿された歌舞伎に関する文章がまとめてあることが印象的だった。歌舞伎の一年は冬の顔見世興行から始まることは先日読んだ『大江戸歌舞伎はこんなもの』にも書かれていた。歌舞伎の文章を収録するならやはり冬なのだろう。

去年読んだ『ひらがな日本美術史』の歌舞伎役者絵に関する章を読んでいたのが偶然にもちょうど歌舞伎の一年が始まるような時期だった。ロシアによる戦争で『ひらがな日本美術史』を読むタイミングが大幅に遅れてしまったのだが、結果的には狙ったかのようなベストタイミングになった。『冬暁』も「冬が来たから」読み始め、そもそも歌舞伎の文章が収録されているとは知らずに読んだので驚くほどタイムリーだった。
と、ここまで書いて思い出したが、そういえば秋に読んだ『秋夜』にも歌舞伎の文章はたっぷりとあったのだった。そしてそれが『ひらがな日本美術史』を読むためのワンクッションでもあったことを。
単に橋本治が歌舞伎好きだから何にでも歌舞伎の文章が入ってる可能性も頭を過ぎって一応春と夏の内容を見たら歌舞伎も『演劇界』もなかった。『秋夜』のテーマは“秋の夜には古典がにあう”だったので、歌舞伎も入っていたのだ。

短い文章のなかでもとりわけ短い文章の寄せ集めなので読むのに時間はかからない。
「雲間に訪れる冬の暁光のような笑い」という帯文句通り、常識と“正しい意見”の間から光が差すような、権威と伝統の間から風が吹くような一種の“軽さ”がこの本の魅力だと思う。

「フラーッと出てってフラーッと帰って来て、日本の常識とは全然噛み合わなくて、自分の言うことに目を輝かせて嬉々として耳を傾けてくれるのは子供だけという、そんな存在になりたいと思っていた。『そういうおじさんがいると、生活に風穴が開いて風通しがよくなるよな』とか。そしてどうやら、今の私は、そんな存在である。だから嬉しい。
本を書くのは船に乗るようなもんで、乗ったら最後、もうどうなったか分からない。後は、ただわけの分からないお土産を持って帰って来るだけの話である。私のしてることに一貫性があるんだかないんだか分からないが、“船乗りのおじさん”である私は一貫して船に乗ってるんだから、やることだけは一貫しているのである。」
「教育が学校教育と家庭教育だけになったら、子供は、しっかりと筋の通った、ある意味では窮屈な、学校と家庭の間を行き来するだけになる。子供にとって、それがあんまり楽しいことだとは思えない。子供には、“船乗りのおじさん”のようなどこにも属さない自由な人間がいて、『へー、そんなこともあるのか……』と思えるようなことに耳を傾けていられることだって必要だと思う。そういうものが世の中からなくなっていることが、今の世の中の最大の問題のような気がする。」
世の中には複数の価値観があって、その世の中で生きて行けるようにすることが教育だと思うので、私は常に、『こういう答だってあるよー』と言う、“フラーッと帰って来たへんな船乗りのおじさん”になっていたいのだ。」

橋本治「『船乗りのおじさん』でいたい」
『冬暁小論集』


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