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研究って?─オープンキャンパス編

長らく橋本治研究者を自称してきたわけですが。
「橋本治を理解するには橋本治だけを読んでいてはダメなのではないか」という考えが確信に変わり、そろそろ本格的に橋本治で論文を書く方向に舵を切ることにしました。

発想が飛躍する癖と持ち前の行動力を発揮して一念発起した私がまずやったこと、それは指導教員(と大学院)のリサーチです。「ここだ」と決めた大学のオープンキャンパスも予約しました。で、オープンキャンパスの前に教授にコンタクトを取ろうかとまで本気で考えたのですが、ハタと思いとどまりました。今の自分がまだそこまでの段階に進んでいないことに気づいたからです。

文学のゼミも受けたことがないのに文学の論文なんて書けるわけがないんですよね。しかも手始めに読んだ文学入門みたいな本で「読む」ということがわからなくなったというか、そもそも自分が今までやっていた「読み」は間違っていたのではないか?とか考え始めて軽くアイデンティティ・クライシスに陥ったりもしていました。
でも落ち込んでいてもしょうがない、初学者用の入門書を片っ端から読んでいくことにして、図書館をヘビーに使う日々が始まりました。どうせ一回読んだってわかんないんだから、類似書をいくつか読んでいます。小説や文学を読むとはどういうことか?どこに着目して読むか?という内容の入門書から、文学理論、文学研究、文体研究など、もう本当にイチから勉強するつもりで。なにせ大学院に行くのであれば前提となる学部卒業レベルは自力で到達しなければならないのだから。できれば卒業論文に匹敵するくらいのものは書いておかなければいけないのかもしれない。
それと同時に、論文を書く上で欠かすことのできない先行研究の収集も始めました。これもハードルが結構高くて、文学としての橋本治を研究したものは、なくはないが少ない。少ないこと自体が立派に研究課題になるのでは?と思うくらい少ないのです。これに関しては、いつも利用している図書館では限界があって、国会図書館の個人サービスに登録しました。デジタル化されているものを閲覧したり、遠隔複写(有料)を利用しています。

研究論文のように真面目に論じられ「ない」ところに橋本治の魅力はあるのだと橋本治読者には言われてしまうかもしれません。でも、読み直しや再評価がされなければ古くなって行くだけです。橋本治が書いた文章を必要とする人は今も、これから先もずっといるはずで、そういう人の手に届くために、ちゃんと読んだ人による論じ直しは必要なんです。千木良悠子さんが書いた「桃尻娘論」のように。

作家論、作品論、テクスト論、はたまた評伝か。どの方向性で書いて行くか、まだ具体的には何も決まっていません。私にはまだまだ学ぶべきことがあることがわかっただけの段階だとも言えましょう。

大学院進学どころじゃなくなってきた一方、オープンキャンパスの日を迎えました。ここに通うとすれば一年以上先になるかな、と思いながら最低限の目的を果たして早々に引き揚げました。何かアクションを起こすにしても、前提となるものを身につけたうえで方向性が決まってからでないと意味がない。まずはそこからです。

研究するとか論文を書くとかは手段であって目的ではない、という意見ももちろんあります。でも私は論文を完成させることがこの先の長い橋本治研究の第一歩と捉えています。それに、論文を完成させるために必要になること(先行研究の整理、関連領域や歴史の勉強、橋本治著作の精読)すべてが、今一番集中的に取り組みたいことなのです。
これまでの3年間、ずっと橋本治だけを読んできましたが、そのたびに実感していたのは「自分の中に橋本治を論じる骨格がない」ということ。漠然と読む時期はもう終わりにしたい。文学を論じる骨格を作ることが、この先橋本治を読んでいくうえでも絶対に必要で、だから私は論文を書きたいと思っています。

この一ヶ月で読んだ入門書いくつか。


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