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痛快青春大ボケ小説ね・・・

『人工島戦記』単行本と雑誌連載原稿の突き合わせ読み、雑誌連載の第2回目が終わった。奥付では30年前(1993年)の11月1日発行で、同じ日までに終わらせたかったので間に合ってよかった。このペースで最終回まで行きたい。
突き合わせながら読むという作業は、最初から改めてじっくりと読むことでもある。そうすると、私のなかである違和感が大きくなってきた。雑誌連載時に『人工島戦記』につけられた惹句、「痛快青春大ボケ小説」である。
実際に読んでいると感じるのは、痛快でもなければ大ボケでもない。もしかしたら、雑誌を発行する出版社からの注文が「痛快青春大ボケ小説」で、橋本治が全然違うものを書いたのかもしれないが、この小説を実際に読んでから惹句をつけるとするとコレにはならないのではないかと思う。まぁ、“短期集中連載”ともあるくらいだから、未完で終わったことが想定外で、プロットの段階では「痛快」に落とし込まれる予定の小説だったのかもしれないが。
市長の人工島建設計画に反対する学生たちがはじめにぶつかる壁は、同じ学生の冷笑的な態度であり、「大学のなかでいくら反対を叫んでも、当の市長には届かない」事実である。どんな運動も世の中の流れも、はじめはこの“どこにも届かないかと思われるほどの小さな波紋”から始まるのだが、この段階は痛快には程遠い。だがしかし、この虚無感に一座が包まれるところで終わるのが、連載第2回なのである。
主人公のテツオたちが集まって、そのサークルは「人工島同好会」と名付けられる。人工島に反対する者の集まりが「人工島同好会」というのも、考えてみれば不思議な話だ。なぜこう名付けられたか?

「オレが“人工島同好会”がいいと思うのはさ、これがなんにも言ってないってことだよ。人工島が好きなやつだっているし、嫌いなやつだっているだろ。でもさ、人工島の好きなやつが人工島同好会に集まるか?集まらないだろ?人工島が嫌いだって言って、でも、なんかヘンな風にアブナイやつだっているだろ?そういうやつはさ、絶対に“人工島同好会なんてフマジメだ”って思うじゃないか。そういうやつは来なけりゃいいんだしさ、人工島同好会っていうだけで、“ああ、反対なんだな”って分かるやつだけが来ればいいんだって、オレは思うんだ」

橋本治『人工島戦記』p.197

人工島戦記を読んだ人に、「どうして人工島同好会という名前になったでしょう?」とクイズを出しても正解が返ってくるとは思えないくらいのややこしい由来である。一度通して読んだ私も忘れていた。人工島が好きな人は来ないように、人工島が嫌いな人のなかでもアブナイ人が来ないように、人工島同好会と聞いて反対だとわかる人だけが集まるように。私が言いたいのは、ここに現れるようなややこしさを含む小説は、果たして「大ボケ小説」と言えるのか?ということだ。私が思う橋本治らしい文章は常にこういうややこしさを含んでいる。『人工島戦記』がボケてないとも思わない。大いにふざけてる部分も、やっぱり『アストロモモンガ』の橋本治であれば、あるに決まってる。でも「痛快青春大ボケ小説」で切り落とされる大事な部分はあるし、むしろ「痛快青春大ボケ小説」という惹句でこの小説を敬遠する人にこそ、実は読んでほしい部分がたくさんある小説だと思う。『人工島戦記』を読めば読むほど、「痛快青春大ボケ小説」とのちぐはぐさが気になってくるのだ。だからと言って真面目一方に捉えられるのも絶対に違うと言いたい面白さがある。この、全てに及ぶややこしさが、『桃尻娘』から続く橋本治の魅力だと思う。

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