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仲間は異質でもわからなくてもかまわない〈日めくり橋本治〉

「人間というものは不思議な多面体で、当人がどう辻褄を合わせようと、その内部は平気で分裂している。『自分はカクカクシカジカであるような人間だ』と当人が納得しても、ハタの人間からは、『そうかァ?違うだろうが』と言われてしまうような多面体なのである。
当人は平気で分裂している多面体なのだが、しかしここに困ったことが一つあるというのは、平気で分裂している当人の頭は“一つしかない”ということである。
当人は平気で分裂しているのだから、その当人の頭の中だってその分裂に合わせて複数の思考体系があればいいようなものだが、しかし残念なことに、人間の頭の中というものは、『自分=1』という考え方に従って、一つの思考体系しか持たないようになっているものなのである。
『自分=1』の公式にのっとって思考の体系を一つしか持っていない人間は、だから、『自分というものはカクカクシカジカのものである』という規定をする。頭は真面目だから、そういう表向きのスッキリ構造ですませているのだが、そういう頭脳によってまとめられてしまった体の方は、『オレはそんなに素直じゃねェよ』で、平気で分裂している。分裂していても、それを把握している頭脳の方は、『そんなに自分がゴチャゴチャあったら混乱して分からなくなっちゃう..』と思っているのだから、“余分な自分”というものを切り捨ててしまう。
切り捨てられておとなしくしている人間ばかりだったらいいが、人間というのは根が不良だから、『それじゃつまんない』と思う。それだもんだから、“切り捨てられた余分なパーソナリティ”の位置づけを考えるのである─つまりそれが『仲間』というものの由来なのである。
だからこそ『仲間』は、『異質』でも『よく分からない』でもかまわない。それは、元々一つであった『自分』から出て枝分かれした『もう一人の自分』だからである。」
──橋本治『人工島戦記』

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