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未来で話そう─少年軍記と人工島戦記

橋本治はバブル期にマンションを買った。その借金を平成の間中返し続け、遂に返しきって、令和改元直前に亡くなった。
バブルの波に乗ってイケイケになったから買ったわけじゃない(と思う)。
同じように、全共闘運動に乗っていたからあのポスターを書いたのではない(と思う)。この二つはどこか似ている。真意は常に巧妙に隠されている。

1981年5月頃から書かれた「少年軍記」は、約5ヵ月後、編集者への手紙をもって中断され未完に終わる。全共闘世代の女性を主人公とする全共闘の話だ。
その数年後、橋本治は『人工島戦記』に取り掛かる(発表は1993年)。全共闘世代を親に持つ大学生が、市長の掲げる人工島計画反対のデモをする話。私はこの二つの小説はそれぞれ単独で生み出されたのではなく、繫がっているのではないかと睨んでいる。
そもそもの始めは小さな疑問だった。のちの文章を読めば橋本治が全共闘運動に乗れなかったのは確かであるはずなのに、なぜ若者が運動をする話を書いたのか。しかも、デモのやり方を指南する側面もあるような形で。橋本治が全共闘に対して完全に批判的な立場でなかったことはここに表れている。人工島を読んでも、全共闘全盛期にバリバリ運動をやっていた母・ヨシミは悪いようには描かれていない。コミカルなほどに記号的な“悪”として置かれている市長・辰巻とは対照的だ。
「少年軍記」を中断させてほしいと書き送った手紙で橋本治は、女から始まって全共闘を通して男に繋がるような構想を明かしている。でも今のままだと主人公がいやな女になって一人でどっかに行ってしまうことにしかならない。男を主人公とするこれまでの全共闘小説が、自分たちにしかわからないまま周りを置き去りにしてどっかに行っちゃうのと同じにしかならないのなら、この小説を書く意味はないという趣旨を書いている(あいまいな記憶)。

「全共闘シンパの人っていうのは、自分の分かるようにしか分からないの。何を共有するかっていう理論がないから、シンパシーっていう形でつながっちゃってるから、ほとんどニューロン繊維でつながってる神経細胞なんだよね。生きものなの。色んなものが色んな風につながってるから、つながってる時は、つながってるの──『一体感』っていう形で。」

橋本治『ぼくたちの近代史』pp.42-43

「全共闘っていうのは、分かってもらおうっていうつもりで、普通の人にはわからないようなことをゴチャゴチャやってる。何故そういうことが起こるのかっていうと、周りのみんなが立派な顔してて立派なロジックを使ってるから、それに対してキチンと言える為には、もっと立派にならなくちゃいけないって、三倍ぐらい過剰に立派になっちゃったのね。」

同上p.56

「テツオは、『だってダサイじゃん』と言う。
そうするとお母さんは、『そうなんだよ、ダサイんだよねェ。この程度の子だってそのくらいのことは分かるんだからさァ──』と言って、運動を盛り上げようとしない地域住民の意識の低さを嘆くひとりごとの方へ行ってしまうのだった。
そして、自分の口にした一言を抱えてどっかへ行ってしまった母親の様子を見ながら、テツオはぼんやりと思うのだった。
ここにだって、環境や自然保護に対する意識の低い人間が一人いるんだからさァ、それをもうちょっとよく見て、“意識の低さの実態”っつーのを考えればいいのになァ』とか──。」

橋本治『人工島戦記』pp.50-51

「佐田 橋本さんにとって、全共闘って何ですか。」
(中略)
「橋本 歴史上の事件。80年ごろ、『全共闘の小説書きませんか』って話がきた時、僕は割と即座にイエスって言っちゃった。で、書き始めて、やっぱりこれじゃ変だなってやめて。これが普遍的意味を持つようなものだったら、歴史的事実ということにして、20年、30年後の若い人たちに意味を持つような、ちゃんとした歴史にしてあげたいって。
佐田 その全共闘小説に再トライする。この冬から。
橋本 そうですね。87章。タイトルは『少年軍記』。主人公は女性で始まり、昭和の終わりごろまで続くすっごく不思議な恋愛小説。粗筋読んで、担当編集者が泣いたの。」

『季節の思想人 佐田智子interviews』pp.186-187

橋本治は「少年軍記」の“その先”を書くために『人工島戦記』を書いたのだと私には思える。人工島戦記の書かれなかった“その先”で、立場や意見の違う者どうしの対話ができる可能性が描かれたのかもしれない。昔全共闘やってた母ヨシミも、今は口ではその母に勝てないテツオも、無関心の権化であるような同級生タナカ・ナダヒロも、みんなを巻き込んだデモは最後どう市長と対峙したのだろう。橋本治が人工島を書いてから30年経っても、そんな“未来”はまだ訪れていない。橋本治が「普通の人」の小説を多く書いたのも、他者と一緒に社会を作っていく可能性を探る試みだったのではないか。

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