愛すべきひねくれ者─多層体の橋本治
神奈川近代文学館で開催中の「帰って来た橋本治展」記念講演の第二弾は社会学者橋爪大三郎氏であった。
“橋本治は全共闘に親和的だった”という話があって、私はそれに大きな違和感を覚えていた。闘争華やかなりし濃厚な文脈のなかであのポスターを描いたのだからというのが理由だったと記憶しているけれど、“愛すべきひねくれ者”である橋本治はそう簡単に他人の考え方や既存の思想に乗っかったり迎合するだろうか?どうしてもそうとは思えない。あのポスターだって大いなる皮肉─社会や時代をも客観視した皮肉と見たほうが、橋本治が書いている文章とも整合性が取れるのではないだろうか。でもわからないな。私は当時に生きていたわけではないから。神奈川近代文学館機関誌(第164号)の馬渕明子さんの寄稿「若き日の橋本治」を読んでも、どうやら橋爪さんと同じ見方のようだし。
ポスターについて言えば、質疑で「あのポスターのどこにそんなに魅力があったのですか?ピンと来ないのですが」というような質問も出ていた。私は単体でもカッコいいと思うほうだけれども、橋爪氏の回答にもあったがやはり比較対象がないから当時の話題性にピンと来ないのはしかたがないのかもしれない(私もほかの作品を知らない)。できうるものなら、前の年のポスター、橋本治以外の作品と橋本治のそれらを並べて見てみたい。橋爪氏は「(他と比べて)ポップだったんじゃないですか」と評していた。内田樹氏は、他と比べて見たときに橋本治のものだけが「静謐」で鮮烈に印象に残ったと言っていた(ほぼ日の学校「橋本治をリシャッフルする。」内田樹回)。
質疑では「橋本治が全共闘の小説を書けなかったのはなぜか」という問いも出たけれども、それは展覧会に展示してある手紙に書いてあるんじゃないですか?と思った。あの手紙を読むと、むしろ橋本治は「全共闘の小説に挫折したのではない」ことがわかる。だって橋本治は『少年軍記』が“全共闘の小説だったから”中断したいとは書いていないから。橋本治の小説がいつもそうであるように『少年軍記』も複層的だったに違いない。編集者からは東大闘争(全共闘)で小説をとの依頼で、確かに全共闘は舞台である時代背景で登場人物に影響を与える重要な要素ではあろうが、橋本治が書こうとしていたことはもっと別のことなのではないだろうか。『少年軍記』に挫折した理由が全共闘にあるのであれば、あの手紙の内容は全く違う書き方をされていたはずだ。だから「橋本治が全共闘の小説に挫折したのはなぜか」という問いは前提が少しズレている。橋本治は『少年軍記』には挫折したかもしれないが“全共闘小説”には挫折していない。『少年軍記』に挫折した理由は、その小説を書く前に解決しなければならない課題があったから(それはおそらく全共闘とはあまり関係がない)。全共闘自体については『ぼくたちの近代史』ほかエッセイや評論で数多く文章を書いているのだから、橋本治が全共闘を書けなかったとは言えない。最終的に小説には結実しなかったが、“それをやって『少年軍記』がいらないという結論になっても構わない”と書くほどの課題が彼の中にはあったということだろう。そうすると『少年軍記』が完成できなかったことは橋本治にとって挫折と言えるのかどうかも疑問になってくる。その小説を書いて解決できる課題でもなかったんだから、「小説として書ければよかったね」って、他人が言えることだろうか。詭弁と言われるのだろうな。我ながら「読んでないのによく書けるな」と思う。
そういえば橋本治ってバブル時代の小説書いてなくない?書こうとした記録もないが、橋本治が全共闘小説を完成できなかったこととバブル小説を書かなかったことにどれだけの差があるのだろうか。「依頼がなかった」という理由以外に。
橋本治は「編み物のように文章を書く」というのは私もその通りだと思う。一針一針編むように言葉(論理)を紡いでいくと、完成したときには大きな美しい絵が出来上がっている。橋本治の言葉をちゃんと読めばその絵を見られるはずだけど、読者でその絵を見られている人は案外少ない。
もう一つ興味深かったのは、橋本治は他者を、そして橋本治自身をどう考えていたのだろうかというテーマ。
橋本治は自分を知りたくて書いたのではないか、他人を理解したくて書いたのではないかなどの話が出ていた。確かにそうだろうけれど、そんなに悠長な話だろうか?と考えていた。ぼんやり思い出したのは『ぼくたちの近代史』の一説だ。
でも、「ただ自分だけで分かるのじゃいやだ!」だから「一般的でもありながら個人的でもあるようにっていう両方の構成で」書いていたそうだ。
自分を知りたくて、他人をわかりたくて書いていたというのは確かにそうだけど、それが本当に目的だったのかは疑問だ。それは手段だったんじゃないの?とか…。
橋本治対談集が今月復刊する。これは2010年に『TALK橋本治対談集』として刊行されたもの。