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#カワイクイキタイ10「いつか無くなる『いつもの』だから」

 好きなものしかないこの部屋は、私を自由にするしとてもひとりにする。

 冷蔵庫から麦茶が消えた。よく考えたら私、麦茶すきじゃなかった。当たり前のように冷蔵庫にあって、切らすたびに沸かしていたのに。あなたが居なくなったから麦茶も居なくなった。

 自分では食べない味のポテトチップスをなんとなく買う。駅前のケーキ屋でチョコケーキを選ぶ。言わなくても分かる待ち合わせ場所。誕生日が近いから同時にやっちゃう四季のイベント。新しく覚えた外国語。ケチャップライスとバターライス。平気だったのに、平気じゃなくなったこと。平気じゃなかったのに、平気になったこと。好きじゃなくなったもの。好きになったもの。

 当たり前じゃなかった当たり前が、増えて減って変わる。

 あなたに合わせて変えたことは一つもないけど、変わったことならたくさんあるよ。元がどうだったか覚えてないのに、元からこうだったみたいにあるよ。当たり前の、無意識の、習慣の中にあなたがいるよ。それってとっても未来だよね。「いつもの」は「これから」だったよね。

 同じじゃないから好きだ。全く違うひとり同士だから似てたらうれしいんだ。あなたが気付いてないあなたしかしないこと、そのまま気付かなければいい。私以外に誰も気付いてなかったらもっといい。

 「いつもの」で通じるなにもかも。私達にしか通じないなにもかも。多ければ多いほど世界を置いていける。2人きりになれる気がする。あなたと私の違いが、私達と世界の違いが、どんどん根付いていけばいい。取り返しがつかなくなればいい。どうせいつか無くなる。元に戻らないんだったら原型がなくなった方がいい。元がどうだったかなんて思い出せない方がいい。その方が悲しくない。

 みんなスヤスヤ眠れてるのに私だけが眠れない。みんなニコニコ笑ってるのに私だけが笑えない。かつての仲間と話すことがない。たくさんの人に囲まれてるのに誰とも一緒に居られない。
 そんな気がしてさみしくなった時、あなたもさみしかったらいいな。あなたなら分かってくれるかもって、どうして思ってしまうんだろうな。なにもかも違うのに、あなたのことがなんとなく分かる気がするのが、気のせいじゃなければいいな。このなんとなくを、これからも説明できなかったらいいな。

 だってそうなんだもん。それ以外言えなかったらいいな。

 いつか終わるんだって。あんまり信じられないけど。どれだけ終わらせないでいようと思っても、どうしてもだめなんだって。だったら、どうせそうなんだったら、ぜんぶ好きでいるよ。うまくできなくていいし、なにやってもいいよ。この先どう変わってもぜんぶ好きだよ、たぶんぜったい。

 古本屋で買った本にページを折った痕があった。この中のどの言葉にか分からないけど、救われた言葉があって、もう必要じゃなくなったらしい。それでいい。前の持ち主が救われたことすら忘れて、最初から自分のものだったと思えていますように。

 「コーヒー豆は冷凍で保存するんだよ」と昔教えてもらったけど、最近調べたら一概にそう言えないらしい。私は「ふーん」と言って、また冷凍庫に豆をしまった。

ひとくちメモ

古本屋で買った本にドッグイヤーがされたままで
会ったこともない誰かと
一冊を通して会話したような気になりました。
サイン本だったので、売るなやとも思いました。

これ読んでると言われるたびにすこしビビる。
なんせ実は書き終える度に
もう書きたいことないなと思うからです。

やり始めたはいいけど、
演劇も書き物もなんのためとか全然わかんない。
まだ何も成してないし
人が作ったもんの方が面白い。
頼まれてもないことなんでやるんだろう。
好いてくれている人に個人的に見せればいい。
小学生の時にやってたハムハム通信のように。
(ハムスターの新聞とか架空のポケモン図鑑作ってクラスメイトに見せてたヤバい過去があります。)

わざわざ色んな人が見れるとこに置いて
恥を晒す必要はないのかもしれない。
世の中「何を言うか」より「誰が言うか」だし
思いやりのないバカに傷つけられて
それなりにダメージを負いながら
創作や表現を「私がやる必要」というのは
悲しいけど今どこを探しても無い。

そういうことをボーっと考えながら
なんとなく入った本屋でなんとなく手に取った本が
その時のモヤモヤを完全に無くしてくれて、
読み終わるころには書きたくなってたのでした。

自分が読みたいもの、自分が観たいもの、
この世にあったら自分がテンション上がるものを
誰かに作ってもらうんじゃなくて
どうせだったら自分で作りたい。

作りたいことは自分の中に最初からあって
好きな人や、他人が一生懸命作ったなにか、
好きな本好きな演劇好きな映画、
自分の好きなものの中から見つけてくる。
自分を見つけたようで嬉しくなる。

人が作るものに出るのももちろん好きだけど、
自分の頭にあるものを形にするのも好きだ。
意味なくても誰も必要としてなくても
自分が読みたい物や観たい物ができてほしい。
一瞬さみしさを忘れます。
やるかやらないかでやるを選んだだけで、
私が見たいからやるでいい。
悪いことしてないしいいよね。

ハムハム通信は教室の後ろの棚に置いてて
誰でも読める状態にしてたんだけど、
友達に「飽きた」と言われてムカついて
自分も飽きてやめた頃、
一言も話したことないクラスメイトが
「もう書かへんの?」と言ってきたのでした。

でかい声はウザイし目立つけど全てではないよ。
一生懸命な人を馬鹿にする奴も
人の夢を食いものにする奴も
ちゃんと嫌いだしちゃんと怒って根に待つよ。
忘れちゃだめだし、慣れちゃだめだ。

最近分かったんだけど、
このひとくちメモが多分「エッセイ」で
本編はエッセイじゃないです。

撮影日:2023年2月5日
撮影場所:新宿区立あかぎ児童遊園

いつも読んでくださりありがとうございます。 サポートしていただけたらとってもとってもうれしいです。 個別でお礼のご連絡をさせていただきます。 このnoteは、覗いて見ていいスカートの中です。