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愛ってなに? ~潜在的ダメンズウォーカーの心の旅路

私は親から愛情を十分に与えられずに育ったため、その辺が欠落した人間だった。
最初から愛などいらぬ!!と開き直れれば良かったのだが、それが何なのか分かってもいないのに、私にとっては必要不可欠なものと思い込んでいた。

欠落は補わなければならない。

しかしよく聞く言説では、人は(育ての)親から愛を惜しみなく与えられることによって学び、自分も愛を与えられるようになるらしい。

こんな状態で、恋愛が上手く行くんだろうか?
もしうっかり与えられることを求めたら、
それが何なのか分かってもいないのに求めたら、偽物を掴んだ挙句、これこそホンモノの愛!!とか勘違いするか、「こんなに苦しいのなら悲しいのなら……愛などいらぬ!!」とかサウザー様が降臨して、欲しくて仕方ないものを諦めなきゃならなくなるかも。

愛を与えられるようになるにはどうしたらいいんだろう?
行動を起こしたら衝動を抑えきれずに与えられたい方向に突っ走って失敗しそう、そうだ、行動が駄目なら思考だ、愛とは何なのか考えるんだ!

私の世界には愛の概念が欠けている。
愛が世界に必要ないのなら気にしなくていいが、私はそれを何故か必要だと思っている。
現時点で何故そうなのかの疑問をはねつけるほどの強力な概念を得るのに失敗したら、欠落が埋まらないだけならまだしも、世界が崩壊するダメージを受けるかもしれない。
失敗は許されない。

私は愛とは何なのかを延々と考え続けた。
そして確か20代後半くらいに、一つの答えを閃いた。

愛とは許すということでは?
親から愛を与えられなかった理不尽を、自ら掴みにいって失敗することを、
許せなかったのが、いつまでもそれを欠落させたままでいる原因では?

何かこの答えで取りあえず良さげだけど、油断は禁物だ。
つづいて愛=許しだとすると、どんな不都合が起こりそうか考えた。
愛を与えられる人でありたいと強く求めるということは、許したいと強く思うことと同じだ。
ということは、許そうと強く意識する相手に対して、自分は彼を愛していると実感が湧きやすいはず。
自分を大事にしてくれる特に問題のない相手だと、そもそも許さなくてはならない事態になりにくいため不足を感じるだろう。
つまり、愛=許しだと盲目的に信じたり、意識もせずに行動原理にしたりすると、ダメンズ好きになる!
もっといえば、身近にダメンズの見本(父親や男兄弟とか)がいる女性だと、確実にダメンズだと分かる彼らに似た人を好きになりがち!?
それで、愛されたい=(この世に存在することを)許されたいと強く思えば思うほど、無条件に愛されると思っていないからまず自分から愛さなくてはと、ダメンズにハマっていくのかも。

それまで嫌っている家族に似た男性を好きになってしまう理由を既存の説明ではいまいち納得できないまま、個々の女性たちを観察した経験則として私もそうなるかもと警戒していたけど、これは自分で編み出した原理だから使いこなせるかも。
例えば私は個性的な人、変わっている人が好みなんだけど、この原理に従うと正解じゃない?
だって、他の人は認めなくても私は許容するってことがたくさんありそう。
もちろんどんな人が相手でも恋愛・結婚するなら許容が必要な場面はたくさんあると思うけど。

そういえば愛の定義が決まらないうちは恋愛できないって話を人にしたら、そんなに人は考えて行動してないよって感心された。
私は逆に体当たりで行動する人のほうがすごいと思うんだけど。