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荒波をつくる人

「合宿は中止になりました」

夏休みの音楽室に響く、良く通る声。心待ちにしていたものがまた一つ消えた。

”仕方ないよね、コロナだもんね。”
高校一年生で入学してすぐ始まった休校期間で、私たちの授業進度は例年より遅れたという。短縮して行われた文化祭や体育祭、憧れの部活で音楽を始めたはずなのに、消えていく演奏会。

感染者数の棒グラフは荒波に似ていた。小舟に乗った私たちは、酔いそうになりながら晴れの日を望んでいる。
来年はできる、来年はできる、そう言い聞かせた自分に「来年」がやってきた夏、波はますます高さを増すばかりだった。


「演奏会は中止になりました」

本当に申し訳ないです、3年生は最後なのに。

顧問の先生の悔し気な表情は、マスク越しにもはっきりと見てとれた。ちゃんと頭を下げてくれる先生でありがたいな、と思う。このご時世じゃ仕方がない、考えたって、悩んだって、苦しみに遭ったって。

私たちの住む地域は大都会とは似ても似つかない、だから、感染者の数もトウキョウやオオサカよりは少ない。もっと苦しい人がいる。医療の現場の人たちや、満員電車に乗らなくては仕事に行けない人たちや、ウイルスに感染した人たちや、亡くなってしまう人たちや。


「コロナ、終わらないね」

3年生の、最後の定期演奏会。無観客の体育館で、懸命な指揮と演奏は、拍手のない空席に吸い込まれていた。
憧れだった大都会が少し敬遠される季節、四季にのらないイレギュラーの中で、結局3年生たちは引退していった。

卒業してからでいいから、ホールで弾きたいね。

悲し気に呟いた先輩の表情が忘れられない。

大きな背中を追いかける時間の中で、私は先輩たちと、小さなスポットライトの中にしか立てなかった。

来年は、私たちの最後は、できるかな。
もう誰も口にしない。誰も知らないのだ。高校生活の幕開けを待つ間、舞台袖でさえマスクを着けていた私たち。ホールでの定期演奏会も、席を埋める観客も、この二年間、知りえるはずだったことを、知らずにいる。


誰が予想しただろう。

世界のどこかで誰かがかかったウイルスが、ほんの数ヶ月で世界を変えて、今に至っても元に戻らないだなんて。

流行の言葉のように、ファッションのように、伝染する。
ただそれが致死性を持つウイルスであったという一点を以て、軽率な私たちは、どこかで人を死に至らしめたかもしれない。

高校での生活に期待で胸を膨らませ、まだ知り尽くさないまま、半分以上の時間が過ぎた。


ホールで弾きたい。
例えばそう、荒波の上で願う。投げ出されそうな小舟に乗って願う。
私にこの波を止める力はない。ただ少しの挙動が、むしろ波紋を作り、少しずつ波を大きくしていく。

私たちはみんな、荒波に揺られる人であり、同時に荒波をつくる人なのだ。
人の命を蝕むウイルスは、波の形を途端に可視化した。

歩みを止めて波紋を最小限にとどめ、防波堤を作り、被害を小さくすることがきっとゴール。そう信じることが正解かどうかすらわからないけれど、いまできることはそれしかない。


私は今春、高校3年生になる。
オンライン開催に変更され続けたオープンキャンパスや、実施が見送られたまま立ち消えてしまった演奏会や、一般公開のない文化祭や、期待の内側で丸まっていったものが不完全燃焼のまま、まだどこかで燻っている。

波に揺られながら受験生になって、高校の3年間はきっとそのまま終わる。

それはきっとある種不幸なことで、普通の高校生活を送っていた人、あるいは世界が日常を取り戻した暁に高校生になった人たちからしたら、荒波のもとで高校生活を送る現在の私たちは「かわいそうな年代」なのかもしれない。

けれどきっといつかわかる。
コロナウイルスが脅威でなくなった未来、私は、私たちは、マスクのない世界に感謝し、何の障害もなく開催できる演奏会に出向いて、ふとした瞬間に今日のことを思い出すだろう。人と人とがつながっていることを、荒波に加担してしまえるだけの力が自分にあることを、決して忘れないだろう。

きっと引退するまでの向こう数ヶ月、「通常通り」のホール演奏会はできない。
けれど高校生活のそこかしこで色んなものを取りこぼした私は、後輩たちの代での開催を祈ることができる。


荒波を作らないよう息を潜めながら、今はマスク越しに笑っていようと思う。

そうしていつか、ニュース番組でコロナという言葉を聞かなくなった時にでも、ふっと幸せを確かめたい。現在失ったものを抱えて、答え合わせをするように。

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