眠れる紅狼と眠れぬ蒼狼 #6
「よぉ、思ったより早く来たな。あいつの近くにいりゃ会えると思ってたぜ。」
「どうやって咲夜の家を見つけたんだ、ご自慢の鼻で匂いでも追ったのか?」
「あぁそうだ。すごいだろ。」
得意げに胸を張るその姿に少し困惑しながらも、散葉は自分の目的を思い出す。
「いや、今必要なのはそんなことじゃないんだ。あんたの名前を教えて欲しいんだけど……」
「…なんでだよ。」
「あんたの個人情報が何も無いから、入院手続きがちょっと面倒なことになってるんだよ。」
「……」
露骨に嫌そうな顔をしている。
何かやましい事でも……
「――ぶき」
「え?」
「犬伏萌吹(いぬぶしめぶき)。草が萌え風が吹くって書いて、萌吹だ。」
「燃え…火の方?」
「火事じゃねぇか。そっちじゃねぇよ。」
「萌吹…ね。けっこうかわいい名前して…」
「殺すぞ。」
初めて会った時並の"圧"を感じて、散葉は後ずさる。
「冗談だよ。でも出来たら名前を呼ぶな。気に入ってないんだよ。」
「りょうかい、です。」
思わず敬語が出て、なんともいえないもよもよした空気が流れた。
「あー、お前の用は終わったか?だったら俺からも伝えることがあるんだが。」
「何?」
「ヘッドギアとこの世界、そして――あいつ、咲夜について。」
zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
そうして黒コートの獣人――萌吹は語り始めた。
「この世界が、ヘッドギアを使った後に見る単なる夢、じゃないことはさすがにお前もわかってるよな。」
「あぁ。」
ここまで現実感がある夢は見たことが無い。
何ならこの世界で習得した技術は、起きてからでも忘れていなかった。
きりもみ式――木の棒の摩擦熱による火起こしが出来るようになっていた時には、これがほんとの睡眠学習か!と小躍りしたものだ。
「恐らくこのヘッドギアの効果を切った時に何らかのトリガーが発生して、こう―俺は電脳じゃねぇから合ってるかわかんねぇけど―何らかの方法で、同一の電脳世界みたいな所へ意識を接続してるんじゃねぇかと思ってる。」
「私も電脳持ってないからよく分かってないけど、電脳世界ってこんな――そういう感じのことなんか出来るのか?」
「ま、これはただの俺の想像でしかないし、解析はお前らに任せるさ。なんかきな臭い噂も聞くし、電脳とかそういうのに詳しいやつの1人や2人、環境課にいるんじゃねぇの?」
胡散臭いスナネコや天使の姿が思い浮かんで。
「…さぁ、ただのお役所だから。」
お決まりの言葉は、フン、と流された。
「そういえばお前、いつもはヘッドギアを使った後この世界に来て、何をしてるんだ?」
「何って、咲夜と一緒に魚釣ったり、キャンプしたり、近くの町に行ったり……」
「遊んでばっかじゃねぇか!」
その後に続いた「俺も人のこと言えねぇか…」という小さな呟きを、散葉の耳は聞き逃してなかった。
「ヘッドギアで引き出される身体能力の向上、それは"自分はそう動ける"、といったような強い自己暗示によって、無理矢理引き出したものだ。
それはつまり、そいつ自身に実際に眠っている力、ということ。なら、その目標を体験した上で特訓出来たなら……」
「それは……目指す先が分かる分、めちゃくちゃ効率的だな。」
「このヘッドギアとこの世界は、そういう意図で作られたんじゃねぇかな。」
確かに身体能力向上はあくまでお手本を見せるためのサブ機能で、この世界への接続がメインの機能だとも考えられるかもしれない。
「そんで、あの白青…咲夜についてだが。」
声のトーンを落として萌吹は続ける。
「あいつとは…俺がこのヘッドギアを手に入れて、初めてこの世界に来た時に会ってたんだよ。」
「は?でも、咲夜はあんたのことなんて知らないって…」
「2年ぐらい前か。この世界で彷徨っている俺の前に現れたあいつは、"木枯(こがらし)"と名乗っていた。この世界を案内してくれたし、その後もこの世界に来ると決まってあいつの近くで目覚めていた。」
「そう、今のお前と同じようにな。」
散葉の目を見て言う。
「じゃあ、なんで今は…」
「1年近く経って、いつものようにこの世界に来た俺の近くに、あいつはいなかった。何の兆候も無く出会わなくなったんだ。そんで同じ頃から向こうの世界でヘッドギアを狙われ始めた。あの灰色のやつらに、だ。」
「じゃあ、あの時あんたがヘッドギアを奪おうとしてたのは、私がやつらに襲われないようにしてくれようと……?」
「あいつと一緒にいたお前に嫉妬してたのもあったかもな。」
「えぇ……」
「あぁ、向こうでお前に会えたのはたまたまだぜ。ダメ元で匂い探してみたらわりと近くにいたってだけだ。」
今回みたいにな、と笑う萌吹を見ながら散葉は考える。
「じゃあ咲夜は一体、何者…?」
「――お前、ゲームってやるか?RPGとか。」
「は?まあ、少しやったことはある程度だけど。」
「その手のゲームでは、大抵初めてのプレイヤーを導くキャラクター―――チュートリアル用のNPCが存在するだろ。」
まさか。
「咲夜がAIでNPCじゃないか…って?」
「俺はそう考え始めてる。」
「……」
散葉は少し考える。頭の中ではすでに分かっていたのに。その可能性があり得ることを。
「ついでに、この世界はいきなり途切れることがある、お前と初めて出会った時みたいにな。
それは決まってあの白青が眠る時だ。強制終了したように、メンテナンスに入る時のように、プッツリとな。」
その仮説が正しいなら、確かにゲームを最初から始めた時のように、萌吹との記憶をリセットして私を導いていたのかもしれない。
この世界での咲夜との生活を思い出す。
泣いて、笑って、楽しんで。脳裏に浮かぶその姿、その表情は、プログラムによって作られたそれとは違うとしか思えなかった。
しかし、そうでなければ咲夜が萌吹のことを覚えていないことの説明が付かない。
いや、ヒトだとしても出来なくはないかもしれない。
しかし、それはあまりに非人道的な――
「悪いけど、私はその仮説が合ってるとは思わない――いや、思いたくない。」
「だったら、あいつの境遇はずいぶんと……」
萌吹も気付いていたようだ。
定期的に記憶をリセットされ、この世界に訪れるヒトを導き続けるヒト。
そんな非道な"可能性"を。
「――とりあえず、私は調査を続けるつもりだ。あんたはいつ頃起きられそうなんだ?」
「あれだけ長いこと使ったことは無かったから分からねぇけど…1、2ヶ月じゃダメそうだな。」
「そうか……なあ、もしあんたが嫌じゃなければ、咲夜のこと気にかけてやってくれないか。」
「――あぁ、いいぜ。あいつがどう言うか分からないけどな。」
「私からちゃんと伝えておくよ。じゃあ、また。」
そうして散葉は萌吹のもとを離れ、咲夜のそばまで戻った。
「ねーちゃん、大丈夫だったの……?」
「あぁ、あいつが悪いやつじゃないのは分かったからな。それで咲夜、一つお願いがある。」
「ん、なに?」
「あいつはしばらく一人でこの辺に滞在するらしい。だから、話しかけたり一緒に何かしたり――気にかけてやってほしい。」
「うっ…… うん、わかった。ねーちゃんが大丈夫って言うなら、信じるよ。」
あぁ、少し不安げなその表情、その声色。
やっぱりヒトだ。散葉は確信する。
もしAIだったとして、ここまで再現された感情は、AIとヒトを区別できるのだろうか。
どちらにしても、見つけ出さなくては。
私達と同じようにこの世界に接続しているなら、現実の世界にも実体があるはずだ。
萌吹は、1年ほど経った後に咲夜に会えなくなったと言っていた。
嫌だ。
これまで持ち得なかった、守りたい、一緒にいたいというこの感情を手放すことは出来ない。
子供じみていてもかまわない。
嫌、なのだから。
zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
「あっ、起きましたか。睡眠開始からほぼちょうど1日です。調整は慣れたものですね。」
医務室のベッドで起き上がった散葉を見て、シエンが安堵する。
「シエンさんお疲れ様です。もう暗くなってるのにまだ残っててくれたんですね。」
「えぇ、少し気になることがありましたので。」
シエンは数枚の資料を机から取り上げる。
「散葉さんがそのヘッドギアの効力を切った直後から、ヘッドギア本体から微弱な"音"が観測されました。」
「また、それと同時に脳波へも微弱な干渉が確認され、しばらく後にいつものようにレム睡眠が継続するようになりました。」
「音……」
これが萌吹の言う"トリガー"であれば、初めてヘッドギアを手に入れた時は?
あの時眠る前はヘッドギアをつけていなかったのに、起きた時には頭に装着した状態で、その上起動状態だった。
睡眠を始めた私に何らかの方法でこの"音"を聞かせてあの世界へ意識を飛ばし、寝ている間に何者かがヘッドギアを被せて、目が覚める数分前に起動させて――
……無理がある気がする。
それをするなら、少なくともこの夢の世界の状況を現実側から確認出来る必要がある。
いや、萌吹の言うようにこの世界がゲームのようなものなら――
そもそも、ヘッドギアを被せた者の目的は何だ?
何の理由があってこれを私に渡す必要がある?
――これもまた、追々調査する必要があるだろう。
「ということなので、この"音"を解析してもらえば、逆位相の音で打ち消したりそもそも音が出ないようにして、使用後のデメリットを無くすことが出来るかもしれませんね。」
「このデメリットが無くなったら、また別のデメリットが出てしまうんじゃないかな。今以上に危険なものの可能性も。」
「その可能性は否定できませんね。」
「それに……いや、何でもないです。解析の依頼はしておきましょう。」
咲夜を探す。ヒトでもAIでも変わらない。気に入ってしまったのだから。
それまでは、この繋がりを手放す訳にはいかない。
やり残したことを終わらせるまでは。
萌吹を襲った灰狼の姿を思い出す。
このヘッドギアの出自を探る為にも、また相対することがあるだろう。
だが今は、調査が終わるのを待つしか出来ない。
思わず歯噛みする。
「そう…ですか。私はメンタルケアは専門ではありませんが…」
険しい表情から何かを感じ取ったシエンは、散葉の座るベッドに近づき、
「何かを求める時は、こちらから手を伸ばさないといけない時もあります。だから…がんばりましょう。」
散葉へ手を差し伸べた。
そうして。
「――ありがとう、ございます。」
散葉はその手をとり、強く握った。
眠れる紅狼と眠れぬ蒼狼 #6 「その感情は夢か、それとも」
終
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