「花束みたいな恋をした」を観て
友人から、ちょうど観たいと思っていた映画に誘われた。ナイスタイミング。
電車が遅れてギリギリのところで着席し、深く息を吐く。前の席では、おじいちゃんがポップコーンを食べていた。おいしいね。
時は2020年を遡り、2015年に主人公のふたりは出会う。
まさしく私たちが青春時代を過ごした年代ど真ん中。
劇中で使われるMacBook、ぐるぐるに絡まるイヤホン、家賃5万ちょっとのボロアパートの6畳間、きのこ帝国のクロノスタシス。
そこで過ごすふたりは、きっとかつての、どこかのまばゆいふたりなんだろう。付き合う前のくすぐったい感じ、相手の気持ちを探るように会話を進めるあの感じはきっと誰もが心当たりのある感覚だろうと思う。ドライヤーで髪の毛乾かしてもらうの、いいなぁ。
恋するふたりは無敵である。押しボタン式の信号がこんなにも尊いなんて、と思った。最高潮を迎えたこの恋は、お互いの全てを肯定し、許し合う。誰にも侵すことができない。
恋の賞味期限はいつなんだろう
大学生だった彼らは時を経て、生活と向き合うこととなる。仕送りが止まれば社会へ出なければいけなくなる。ふたりのこれからの生活のため、麦は就職を決めて、夢だった絵からだんだんと離れてゆく。絹は仕事をしつつも、ふたりで大切にしていたものをや自分のやりたいことに忠実に生きていく。
人生の分岐点である就職。生きるためには働くよりほかない。
ふたりは、このままのふたりで居続けるために頑張っていたのに、どうしてか、歯車がうまく噛み合わない。麦の、ちょっと身勝手だけど、安定した家庭を築くための努力。現実はそう甘くないし、仕事だってやりがいはあってもやっぱりしんどい。
好きなことを仕事に、という絹の言葉を、そんなの遊びじゃんと否定する麦の気持ちは自分の中にもある。妙な意地と忙しさの狭間で、思考が停止してパズドラしかできなくなる麦の気持ちが痛いほどわかる。
どうして違う方向へ向いちゃうんだろう。
大好きだったはずのふたりはいつしか、お互いに対し否定的になり、許すことができない。恋の終わりはいつから始まるんだろう。たぶん、はじまった時からなんだろうね。
かがやいていたとき
結局ふたりはお別れをしてしまうんだけど、ふたりにとってあの尊い時間を過ごせたことにすごく価値があると思った。
隣にいた友達はずっと涙を流していた。
彼女は、私のことじゃないのに泣けてきて、と言っていた。
自分のことじゃない。けど、たぶん彼女の中で自分のことだった部分があったんだろうなと思った。
何がどうってわけじゃないけど、ぼんやりと色んなことを考えた映画だった。好きだった音楽、好きだった本や漫画、好きだったボロアパート。好きだった人。
やきそばパン、食べたいな。
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