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プロってすごい。山下達郎ライブー2023・2・16(2022・7・29振替公演)@盛岡

達郎さん自身が新型コロナに感染して延期されたライブが盛岡であり、行ってきました。2018年(だったか?)、2019年に続いて3回目の参戦。2022年のツアーは青森公演がなかったので、盛岡へ。
あ、ネタバレします。までもツアーはもう終わったのでよしとしてください。でもセトリとか曲順をマメにメモを取ったりするタイプではまったくないので、そういうことは書いていません。

さて、達郎さんについては、私はオフコースほどハマってはいないんだけど、好きです。ラジオも聴き逃すとラジコで聴きます。大学生の頃だと『おしゃれ音楽』の部類(私が今適当に分類しました)にカテゴライズされていて、ドライブデートやサークルでどっか行くなんて時のBGMには必ず達郎さんのカセットテープ(カセットテープ。LPをカセットに録音しないと車では聞けない時代だった)がありました。海方面に行くときは必ずBig Wave、スキーへはクリスマスイブ。でもライブに行くという発想は、実は本当に最近までなかったです。なんかオフコースより純粋に「音楽」って感じだった。だからオフコースと違って歌詞について考えたり、ヘッドフォンでどんな小さい音も聞き逃さず聴く、みたいな聴き方はしてないです。ゆえに、ライブが毎年のように行われていても「会場も小さいし、生でライブじゃなくてもいいかなあ」という感じだったのです。でもなんかせっかくだから、そういえば、達郎さんって地方でやるよなあ(地方に住むようになってから、楽しめることってやっぱり限られてくるので、近くでライブがあるなら、行ってみようか、という気になったのかもしれません)と思って、応募してみたら、当たって、青森リンクステーションホールのライブがこれまた歌だけじゃなくてバンドもすごい、音もすごい、トークもラジオのまんま(ラジオで言えないちょっとブラックなことも言っちゃう)ともうすごいのオンパレードで圧倒されたのでした。それで、運よく当たり続けて3回目。

舞台もセットリストも、ほぼほぼ変わらないのが達郎さんのライブのいいところ。SPARCLEから始まって、甘く危険な香り。そして、レシピも。生レシピ、良かったです。タツローくんが端から走ってきて舞台に足をぶらぶらさせながら座って歌ってたよ(ヤバい人みたいだから素で言い訳しますが、そう見えたような気がしただけです)。
達郎さんのライブはラジオで聞くのとまったく同じ滑らかなおしゃべりが入りますが、だからと言って曲が少ないわけではない。何百とあるので、ライブで何をやるか悩んだこともあったけど、今では自分のやりたいものをやっている、と。そしてバンドの方々のものすごいテクニックのおかげで、できる曲のレパートリーは増え続けている。楽譜があればすぐに120曲ぐらいはすぐ演奏できる。とか。プロってすごい。と思いました。私の一番好きなRide on Timeも「老人虐待じゃないか」とか言いながらも、相変わらず生声を聴かせてくれました。CDで聴いていると優しい歌声と思いがちですが、ライブでは大迫力なのです。歌声だけではなく、ギターの演奏も、キーボードも、そしてほかのバンドメンバーの演奏も、これはいったい私と同じ2本の腕と10本の指でどうやったらこんな音が出るのか、というぐらいの素晴らしい音を聴かせてくれます。
毎回質問する「今日初めて私のライブに来たというかた、どれぐらいいらっしゃいますか…」では、たぶん手を挙げた方が多かったんでしょうか、「これが吉と出るか凶と出るか…」なんてつぶやいていらっしゃいましたが、中盤から「私のライブは1曲目から立ち上がるものではなく、ここからが『おにぎやかしタイム』であります。へへ」「経験者のみなさん、リードをお願いします」とBOMBERが始まり、えいやっと立ち上がるのです。そしてLet`s Dance Babyで慌ててクラッカーを出す。ふふふ。パンパーンと鳴ったのを聴いて達郎さんが歌の合間に「3年間、よく我慢してた!」って言ってくれた。音楽やおしゃべりを客席に座って聴いているだけじゃなくて、会話しているようなうれしい気持ちになります。

今回後ろのセットが、イタリアになってました。始まるまでは気が付かなかったんだけど、セットの背景にドゥオーモみたいのがあるなあと思ってよく見たら、手前のセットのサインもみんなイタリア語でした。これは(たぶん)これはヤマザキマリさんにお願いして描いてもらったとSoftlyのジャケットと関係があると私はにらんでいます。ヤマザキマリさんは、テルマエロマエで有名だと思いますが(あの阿部寛本当に好き)、実はかなりみっちりとルネッサンスの画法を学んだ方で、あの肖像画はその15世紀だかなんだかの様式を忠実に再現して描いたのがあの達郎さんのジャケットなんだそうです。なので、そんなつながりでイタリアなのかな?と思った次第です。私の勝手な推測です。もう一つ、冬に熊のジャケットで出したものがあって、これは「自分は学生(中学だったかな?あんまりはっきり覚えてなくてすみません)の頃の自分のあだ名が「くま」だったから」と話しておりました。くま? あんまりくまっぽい印象はないので意外でした。

アンコールが終わってバンドの皆さんが舞台から去った後も、達郎さんだけ舞台の端に残って鳴りやまない拍手を両手を広げて受け止めてくれて、何度も何度もお辞儀をしてくれた。会場の大きさも関係しているのか、達郎さんのライブは達郎さんとファンの気持ちが相互的に通じ合うライブになっていると思う。「かっこよく、年を取っていきましょう!」という言葉も、歌声も、達郎さんの言葉はよい温度で心地よいのだ。

とにかく3時間みっちり、密度の濃い、歌いっぱなししゃべりっぱなしの至福の時間でした。プロの仕事はすごい。1000%仕事を忘れて楽しんだ! 達郎さん、バンドの皆さん、盛岡まで来てくれて、本当にありがとーう! 次回はぜひ、青森まで来てくださーい。

オマケ
席が1階の後方ながらもドセンターでした。PAブースの真後ろ3列目で、そこに並ぶスタッフの方々が圧巻でした。たぶん年のころは達郎さん(70歳になったそうです)と同年代ぐらい。達郎さんの音をずっと支えてきた方々なんだろうなあと彼らの背中越しに達郎さんを見た3時間だったのでした。ライブによってはガチャガチャと楽器の音があんまりきれいに聞こえないものもあるんだけど、達郎さんのライブは音もなにもかも完璧です。プロの仕事は本当にすごい。

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