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人間の集団について-ベトナムから考える/司馬遼太郎

司馬先生、ごめんなさい。
私は今まで先生の著書をきちんと『読む』機会が、ありませんでした。
お名前を存じていたものの、井上靖と区別がつかなくなるようなおバカな私でした。

この本も、自分がサイゴンに住んでベトナム人と付き合い、たまたま友達になったコから(彼女は日本人です)さりげなく貸してもらわなかったら、ずいぶん後まで読む機会を逸していたと思います。

とても読みやすく、なんといっても面白い。
民族で括らず、『人間の集団』としてみるところに面白さがあるのだと思いました。
自分と同じ人間にしたら、目線が同じになって、
スペイン戦争も、ノモンハン事件も、連綿と続く人間の集団の行動として、捉えられる。
アメリカ側が、中国側が、フランスが、誰が悪いという視点でなく、あえて
「ベトナム人は決して戦争をやめない」、
「妥協のチャンスがいくつもあった」のに「かれらはそれを逸した」
と書いてしまうところ。
米兵の応援に来た韓国兵があまりにも強く、解放軍を次々殺すので南ベトナムの人たちですら面白く思わず、
「ダイハーン」
と小ばかにした呼び方をし、蔑み、挙句に殺してしまおうとするところなど、
『う~ん、そうそうこれってベトナム』
と思う。

昔からベトナムはあまり、変わっていないようです。
戦時中だから、戦後だから、ではなく、人間の集団っていうのは、あまり変わらないものなんだな、と思いました。
日本はものすごく変わったように思っているけど、
本質的なものは本当は変わっていないのかもしれないと思いました。

今も、朝の薄暗いうちからどこへ行くあてもなく、バイクはぐるぐる街中を走っています、司馬先生。
さすがに4人以上乗ったバイクはあまり見かけませんが、相変わらず一家揃って一台のバイク山盛りになって、器用に運転しています。
最近では、モノも運ぶようになりましたよ。
しかも何でも運びます。風船売りも、植木屋も、水のタンクも、クリーニング屋も、バイクを使います。

サイゴンの人間は、今でも自分たちの街を「サイゴン」と呼んでいます。

司馬先生に、今のサイゴンを、見てほしかった。
見て、もう一度変わらぬベトナムと、変わったベトナムを、描いてほしかったです。
2008年01月09日 02:29

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