2021年12月31日の私。


滅多に来ない下北沢に来て、タバコを吸える店を
地図も見ず、なにも調べもせず
ふらふらと探しながら辿り着いた
トロワ•シャンブルというお店に着いた。
待ち合わせの時間まで後30分。
noteの続きを書いていきます。


2021.12.31
パリに留学した後、音信不通になってしまった
友達と連絡がとれた。
孤独と焦燥感でいっぱいの2021年で
私は1番嬉しかった。
私はあまりいい子ではなかったけれど、
神様ありがとう。
その子は私が東京に来て初めて出来た
女の子の友達。
かわいくて、センスがよくて面白くて
一緒にいると落ち着けて、
その子に会いたいから一度パリに行った。
パリはとても寒かった。涙の跡が冷え切る程に。

その子は服飾学校に行っていた。
特待生だったからパリに留学をした。
その子に衣装を何度か作ってもらった事もある。
その子の影響でパリコレに出てくる
不思議な形の服が好きになった。
その子とパリで会ってからしばらくした後に
その子は音信不通になってしまった。
連絡手段のLINEやTwitterなどのSNSが消えてしまった。
もう会えないかもしれないと私は思っていた。
2020年、私の気持ちを知ったかぶりする
人間達はまたいつかきっと友達と会えるよ!と
その子の話を私にするたびに
私はどんな気持ちでいたか想像してほしい。

パリではストライキが起こり、
それからコロナ禍になりその子は無事なのだろうか。
バイト先での人種差別問題は落ち着いたのだろうか。
悲しみで心がいっぱいになってないだろうかと
私は考え、考えるたびに悲しくなっていった。

衣装のデザイン画を描くたびに、
四季が変わりゆく中で、服屋に行く時、
お酒を飲んでいるふとした瞬間に
私はその子を考えていた。
きっと、音信不通にならなくてはいけない事が
あったのだろうと思い
私が死ぬ前にまた一度会いたいと思いを馳せていた。

連絡が来た時は本当に嬉しかった。
彼女だと思われるTwitterのアカウントを
見つけたと知人に言われDMを送り、返信が来た。
その子だった。
私は嬉しくて嬉しくて涙が出そうになった。
2021年の年末の最後の最後に起きた奇跡でした。


それから一か月に少なくても一度、
彼女と会っている。

彼女と会っているうちに私は18歳の頃に
東京の服飾の学校の資料請求をした事を思い出した。
その頃の私はお金がなくてただひたすら毎日必死に
働いていた。
昼間の給料は生きるのに最低限の金額しか貰えなかった。
私が働いていた場所は個人経営のお店だったので
社長が考えた私の年齢に相応しい金額の給料を
私に渡していた。


北海道は雪が降る。
当時の私は長靴すら買えなかった。

18歳になった誕生日の翌日、私は夜も働いた。

お金を貯めていつか東京に行って服飾の学校に入って自分で好きな服を作ってみたいなぁ。と
想像してみるけれど現実は私のやりたいことを
させてくれなかった。

今年は自分のやりたい事をやっていきたい。
私は彼女にミシンを習い始めた。
北海道で見た頭の片隅にあった想像を
現実にしていきたい。

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