スタンドアローンで繋がる
スタンドアローン「stand-alone」
一人で立っている状態=孤立している状態を表す言葉。
昔やってたお仕事で、時たま使ってたね、この言葉、うん。。。
当時はまだまだ汎用機が主流な時代。
ホストコンピュータに端末機がくっついてて、端末機からデータを送って、計算結果が送り返されてくる。端末機は専用機。今みたいに、なんでもかんでもネットワークにぶら下げられる時代ではなかった。
頭の部分は「ホストコンピュータ」の中なので、端末機は自分で「考える」わけではない。ただ、ちょっと遠いところに手足があって、その刺激やデータがホストコンピュータの脳に届いたりデータボックスに記憶されたりしていた時代。
「スタンドアローン機」は頭も手足も自前で揃えて、ちょっとゆっくりでも自己完結できるコンピュータや情報機器だった。
今の「パソコン」や「タブレット」「スマホ」も、ネット環境が無ければ立派なスタンドアローン機である。でも、ネットがなければ動画配信は出来ないし、通信アプリの対戦ゲームも遊べない。そういう意味では「スタンドアローン的な使い方」はとても限定的かもしれない。
もちろんこれらはネットにさえ接続すれば、一気に世界中と繋がれる便利な時代なんだけれど。
クラウドにしてもアプリや動画のデータ配信など、ネットワークの環境に依存しているなとつくづく思う。動画をみるにしても外出先だと「ギガ」が減る〜なんて通信環境を氣にしながら・・・便利なのか不便なのか、ちょっと謎だよね。
そう思うと昔のスタンドアローン機は、今ほど処理能力は速くなかったけど、全部自前でカタ付けられて、ちょっとカッコいい氣もするなぁ〜そんな風に思う今日この頃。自己完結だから扱える情報には限りがあるけれど。
近頃、ふと思った。人もスタンドアローンで自己完結しつつ、繋がればいいんじゃないかって。
頭も手足もあって、それぞれ滞りなく動くのならば、考える力も歩く足も、何かを捕まえる手も自前で一揃え持っている。
一人では扱う情報に限りがあっても、そんな人たちが繋がっていけば情報は交換できるじゃない?
得意技は人それぞれ。それぞれ違っていていいんだよね。
みんなで公平に手を繋いでゴールする必要はないんだ。
ましてや、誰かの傘下に入って隣の人の顔色を伺う必要もないんだ。
みんながスタンドアローン。みんなが得意技持って自分で立っている。
繋がってるけど、自立している、その顔達が見上げる場所は同じ方向。
みんなが笑っている。同じ空を見つめている。
そんな「stand-alone」の繋がりがこれから先の世界の色になるといいな。
22年2月22日の夜 22時頃の記憶(*´艸`)
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