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「上手でないといけない」っていう思い込み


子どもの頃から言われてきた「上手に出来たね〜」

それは本当に褒め言葉なのかな?

そもそも上手にする必要あるかな?


何をもって「上手」なんだろうね?

そんな風に思うこと、ちょっと書きたくなりました(*ˊᵕˋ*)੭ ੈ


文章の上手・下手ってなんだろう?

これも友人達から時々言われます。私のメールの文面が面白くて上手だと。


うーん・・・そうなのかなぁ?自分では面白く書こうとか、上手に書こうとか思っていないので😝

ただ・・・「楽しいことを、相手に出来るだけ伝わるように書こう」とは思っています。でも、そうしたら絶対に上手に面白く書けるか?と言われると、それはどうかはわかりません。

「どうしたら、そんな風に上手に書けるの?」って面と向かって聞かれたことも実はあって・・・でも、それって聞いてわかるのかな?とか思いつつ、返事に困ります。。。💦


そもそも、文章が上手かどうか?なんて、誰が決めるのでしょう?それって思いっきり読んだ人の「主観」じゃないんですかね?

小説だってエッセイだって、ベストセラーで万人に受けたからといって、自分が氣に入るかどうかはわからないですよね。それと同じだと思うんです。

私のメールの文面だって、別の人が読んだらそんなに大して面白くもない・・・って感じになるんじゃないかとも思うし。


私は「読んだ人が氣に入るような文章を書きたい」と思っているわけじゃなくて、自分のいろんな体験を、伝わるように、自分が書きたいように書いているだけで😝

こんな私の駄文を「楽しくて面白い」と思うか「回りくどくてめんどくさい」と思うかは、読んだ人側の問題で、私の感知するところではないし、私が読み手に「こう思え!」と強制できるものでもないのですよね。


そもそも、上手でないといけないって誰が決めてる?

そもそも論になっちゃいます。そもそも「上手」ってなんでしょう?

なんでも「上手がいい」って思いすぎてませんか?

子どもが、積み木で遊んでいて、昨日より一つ多く積めた!と喜んだら、大人は「上手に出来たね〜」ってついつい言っちゃう。自分たちもそうやって「上手に出来た」と言われて育ったんですよね。。。

言われるとちょっとこそばゆい、それでも(*´艸`)うふ🎶って嬉しくなる感覚があって。自尊心くすぐる感じかな?とにかく「上手だって言われたい」に重きが置かれてしまうと「何か自分のやりたかったことが達成できた喜び」から遠ざかってしまうんですよね。。。


素朴で味わい深いものも、世の中にはたくさんあります。それらが全て「上手に出来ているか」と聞かれたら、泥臭くて上手とは言い難いものも結構あるはずです。でもそれはそれで「味わい深い」ところがいいと思う人も大勢いるわけですよね。


「上手に出来たね」って言ってもらえると、確かにちょっと嬉しかったりするけれど、それはそう言った相手が「上手だ」と思っただけに過ぎません。

それでも、そこだけに価値を求めてしまうと、上手だという評価を得ることが目的になってしまうんじゃないのかな?って思ったりします。


言葉や文章っていうのは内容を相手に伝えるもの。上手でなくてもいいんですよね。楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと、変だと思ったこと・・・そんなちょっとした日常の一コマを素直に伝えられるといいなと思います。


だから、私のnoteは

「何を書いてもいいところ_φ(・_・ 何でも好きに書くところ💕」

なのです(*ˊᵕˋ*)੭ ੈ




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