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私とは??

Beauty Japan近江大会ファイナリストとしての活動を開始しました。
ここからはそれに向けての思いや考えをまとめていこうと思います。

まず自分の自己紹介をしなければ…ということで、カイロプラクティックを始めたきっかけから話していこうと思います!

ちひろ、カイロプラクティックに出会う。

元々、両親が近所のカイロプラクティックに通っていました。(この時点で私は運が良かったんだなあと回顧。)
私が産後の骨盤矯正どうしようかなあ〜駅前の安いとこで済ませよっかなあ〜とか考えていた時、母からの一言。
「騙されたと思って、カイロプラクティック行ってみ。」
考えいた駅前の安いとこよりは少し値が張る。だが、母が言うならとりあえず行ってみようと決意して連絡。

…正直に言うと、本当にまり先生(後の私の師匠となってくださるお方)に出会うまでは、マジでカイロプラクティックのこと、疑ってました…笑
いくら両親が通ってたとはいえ、横文字やし、意味わからんし、直前まで疑ってました。
マジであやしい…と…


結果的に言うと、
えーー!!!すごい!!!!!ってなりました。(語彙力のなさ…)

骨盤矯正をしに行っただけ。
だけ、なのに!!!
終わったあと、息吸ってみてみて〜って言われて吸ってみたら、ほんとに
「肺に空気が入ってるー!!」
ってなりました。当時看護学生だった私は、一般の人よりは解剖の勉強をしてて、それもあったかもしれませんが、骨盤を整えに来ただけなのに、肺に空気が入るってことは肋骨が動いたってことやし、全身が整ったってことやん。って繋げられて、より感動につながったのだと思います。
そしてなにより、カイロプラクティックの考えが、その時の私の思いとリンクしてました。それがこちら↓↓↓

カイロプラクティック

「chiropractic,chiro = もとギリシア語で、手の意」
背骨や骨盤の歪みを徒手によって矯正する治療法。
「広義では、薬物や手術による方法を除く体操、食餌(ショクジ)、物理療法を含む治療法を指す」

新明解国語辞典 小型版 2012年1月10日第7刷発行 山田忠雄 発行所三省堂より引用

※詳細はこちらのホームページにて↓↓↓

ここで一番大切なのは、
「広義では、薬物や手術による方法を除く体操、食餌(ショクジ)、物理療法を含む治療法を指す」
つまり、施術だけだと、また1ヶ月後や半年後、症状悪ければ次の日にでもぶり返したりする(マッサージ行ってみたけど…みたいな経験ありませんか??)けど、
施術だけでなく、生活習慣(栄養、運動、睡眠、皮膚ケア)が必要だということです。

つまり、このしんどい身体の状況を作ってるのは、これまでの自分の生活習慣=日々のクセである!
ということです。
たとえ、ゴッドハンドと呼ばれる人に施術をしてもらっても、自分のクセを治さないと、結果的に5年後10年後には悪くなっていくということ。

そうならないために、根本的にどうにかしたい!!って思う人と、カイロプラクティックは"二人三脚で"指導していくことにものすごく惹かれました。

看護学生をしていた私は、病院実習へ行くわけですが、そこで受け持ちの患者様に必要なケアを行なっていくのです。その過程で、必要な人には指導(例えば脳梗塞の人には栄養指導あったり。)をするわけですが、ほとんどが高齢者なわけです。なんぼ私たち看護学生が頑張って一夜漬けで手作りパンフレットを作って減塩しましょうね〜って伝えて、病院ではできてても、退院してご自宅に帰られたあとはどうなんやろ…やってくれてはるんかな…と疑問が残るわけで…

健康が人生の基盤である、そして生活習慣を一緒になって考え支えていく、という事がカイロプラクティックでは可能だということに気が付き、もうその初診の時点である意味カイロプラクティックに恋してたかも(笑)
そんなこんなで、カイロプラクティックが好きになって患者として通っていました。

ちひろ、カイロプラクターになる。

患者として通っており、その時点ではこうして先生として活動するということは思ってもいませんでした。(正確に言うと、潜在的にはしたいと思っていたけど、自分の気持ちに見ないフリをしていた、のかも…)
それがなぜカイロプラクターになる!っとなったのかと言うと、看護の実習に落ち(つまり落第)、こどもがいた私は別の道を選ぶしかありませんでした。→ここの話のくだりはいろいろ紆余曲折あってのとこなのですが、全部話してるとキリがないのでカットします。

ハローワークにて就職活動を始めたわたし。それと同時に、精神科に受診にいきました。なぜって、看護学校の先生に、
もしかしたらちひろさんは、発達障害とかあるかもしれんから、受診してみたら?と言われたからです。看護の授業を受けてる中で精神の勉強もしますが、発達障害などの話が出てきても、あまりピンと来ていませんでした。ですが、人と違うのはなぜ??と薄々思っていたので、受診を決めました。
結果。

『コミュニケーション障害』

と診断されました。教科書やネットを調べましたが、有用な記事はなく、医師からも治療方法はないと言われました。
ですが、人の気持ちのうわべのとこしか読み取れず、本当のところの気持ちを察する、ということができなくて、"なんかわからんけどしんどい思いをしてきた"私にとって、この思いに名前がついたことに安心しました。今現在ではこれが私のアイデンティティだと胸を張って思えるくらいになっています。

当時は、安心した気持ちも束の間、就職活動をしていた私にとって、本当にこんな私がこれからこどもを育てながら生きていけるのか、いっそのこと、わたしなんかいなくなればいいのではないのか…死んだ方がマシかも。とさえ思っていました。この時が本当に人生の中で一番、暗黒期でした。

その時、母がカイロプラクティックの施術に行く日がたまたまやってきたのです。私はその時母に渡さなあかんものがあったのかなんかの用事で施術院に寄りました。すると恩師であるまり先生と母が話してるとこでした。私の今の状況を母がまり先生に話していたみたいで、すんなり私もその場に馴染むことができました。あーだこーだ話をしているうちに、まり先生から1つ提案がありました。
「カイロプラクターになってみる気はない??」
他人から、誰からも必要とされていないかもしれないという不安な気持ちがありつつ、就職活動で自分に合う仕事ってなんだろ?って考えていた私はカイロプラクティックっていいな〜人と話しながら仕事ができるもんなあ〜とぼんやりと思っていたところの提案でした。ですが、自分に自信がなく、マイナス思考になっていた私は、本当に私が…?カイロプラクターに…?いや、お世辞でしょ?
無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理
と思って、自分が無理な言い訳を一生懸命並べて言い訳していました。
その時、まり先生が一言、
「ちひろちゃんだからこそカイロプラクターが合ってるんだよ」
本当にこの一言がなければ、たぶん私はいま生きていません。たぶん。
真っ暗闇を歩いていて、どっちにいったらいいのかもわからず、ただただ、とりあえず歩かなければいけないという地獄にいた私にとって、ほんとに✨ぱぁーー✨✨って一筋の光が指してきたような気持ちになりました。
芥川龍之介の蜘蛛の糸みたいな気持ち。
これ、もしかして、あそこに向かって歩けば出口なんかも!?これ逃すと一生真っ暗闇かもしれん。"ちひろ"という人間がいていいんだよって肯定された瞬間でした。
そこから、カイロプラクターになる!ってなり、育成プログラムを受講するまで不安をまり先生にぶつけまくり…(家が近所だったこともあり、突然お家に行ってお話したり、夜に電話してもらったり、数々の考えられない無礼を行いました。笑)それを受け入れてくれたまり先生にも感謝です。

今現在は福祉のお仕事(精神障害者の就労支援施設)で日々メンバーさんとの自分のコミュニケーションの課題というのに向かい合いながら、カイロプラクティックを始めてから2024年3月で丸3年経ちました。

ここまでが私のストーリーです。
要約すると、
・20代でカイロプラクティック、恩師のまり先生に出会えて超ラッキーなちひろ。
・コミュニケーション障害がちひろのアイデンティティの一部
・カイロプラクティックに出会えたことで、
身体も健康にもキレイにもなれたし、
心や考え方も変わった

です!!🍀🌈
滋賀の20代女子をカイロプラクティックで魅力的にする!!がモットーで
頑張っております。
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