すきなもの。
生まれて初めて太陽にカメラを向けた気がする。
それくらいに今まで空を見上げることが少なかった。人間変わるものだな、昨日の自分は今日もう居なくなるのだな、と実感する。
変わる事が元々好きではなくて、自分にも他人にも、変わらないで居たい、居てほしいと思っていた質なのだけれど、変わらないものは無いし、変わって当たり前で、そこに良いも悪いも無いのだな、と気づいたのは本当に最近な気がする。
この3ヶ月で、自分はそれまで楽しいと感じていたもの、好きだと思っていたもの、日々の糧だと大事にしていたもの、色々数あったものを全て失った気持ちでいた。
嫌いになったのでも、面白くないと飽きてしまったのでもない。
ただただ、楽しいを感じることが難しくなっただけだった。
自分の好きなものは、ほとんど現実の世界には無かった。それでも、皆無か、と言われればそれは語弊があるかもしれない。
仕事上で様々なストレスを日々抱えていたとしても、仕事の内容は自分にとって興味の深いもので、その知識を増やす事も、そのモノについて語る事も、もっと出来る事を増やしたいという気持ちも少なからず持っていて、家に持ち帰ってじっくりそれに向き合い考え形にする事も、私の好きのひとつだった。
友達や同僚と出掛けたり、ご飯に行ったり、それこそ今年はコロナの影響でほとんど外出はしていなかったけど、それも楽しみのひとつで。そもそも一人時間も大事で仕方のない人間なので、ステイホームの期間も苦ではなかった。でも元々、人と居ると疲れを覚えやすい気質なので、人と遊ぶ事イコール一番のストレス発散、というタイプではないのが本当だ。(苦な訳でもないけど、楽しい、と、疲れる、が同量訪れるというだけで、相手が悪いという問題でも無い)
毎日の自分の心を一番に彩ってくれていたのは、やっぱりエンタメの世界だ。
大好きな漫画、大好きな俳優、大好きなアーティスト。
一番に頭を占めていたのは、大好きな漫画だった。
ここ何年も、それが自分の一番の推し事だった。元々かなりの出不精な自分が、イベントがある度に往復三万円はかけて東京まで赴き、毎月毎月何年も作者に応援と感想の手紙を書き、それこそ時間もお金も熱意も、沢山費やしてこさせてもらった大切な感謝しかない作品。サイン会にもハマってからはほぼ毎度参加して。元々子どもの頃から漫画を読む事は好きだったけれど、ここまでハマった作品は初めてだった。作品の空気感、愛さずにはいられない魅力的なキャラクターたち、何もかもが自分の気持ちに響いてくる存在。
しかも大人になってから。いや、大人になったから、なのかもしれない。Twitterで同じ趣味の友達も出来て、実際会って話したりもして。世界が広がった気さえした。
毎日毎日、充実していて、本当に楽しかった。
音楽でいえば、BUMP OF CHICKENが好きだ。毎回欠かさずライブにも行く。
自分は学生時代ずっとピアノを習っていて、部活は吹奏楽部だった。その故か、クラシック音楽が好きだった。他のジャンルの音楽は聴いてこなかったし、J-POPもほとんど。嫌いな訳では無かったが、全く詳しくなかった。それどころか、昔の自分は、音楽にはメロディがあればそれで充分と考えていた。歌詞は、音階を紡ぐだけの音であると、極端にもそう思っていた。例えばチューリップでいえば、咲いた、と、ドレミ、は私にとって同じ意味を成していた。だから曲を聴いても、その曲はどういった内容の歌詞なの?と聞かれたとしたら何も答えられない。それがラブソングなのか、友情の歌なのか、パッと頭に浮かべられない、そんな学生時代だった。
でも、成人して、BUMPに出会って、その考えは一変した。クラシックコンサートに行って、好みの音楽の旋律に涙することはあっても、歌詞に感銘を受けたり、心が揺さぶられたり、それまで知らなかった沢山の初めての経験。歌詞も音も、声も、音楽に対する考え方も何もかもが、ああ好きだな、と思う存在になった。仕事帰りの道で、彼らの音楽を聴くのが楽しみで、家に帰ったら彼らの音楽を聴きながらお酒を飲んで、いい歌だなあって、感極まって涙が流れる時間が好きだった。
ちなみに今でもクラシックは好きだ。自分で音楽をしなくなって10年は経つけれど、ああこの旋律、ああこの裏メロ、ああやっぱり良い、泣ける、そんな気持ちにさせてもらえる。好みの旋律は心の奥から情緒が震える。今はこの文を書きながら、アイネクライネナハトムジークを聴いている。モーツァルトの有名な曲。同じ名の、去年の今頃に公開されていたあの映画は、自分の中で一番に好きな彼のスクリーン作品だ。
ここ2.3年で急激に熱を上げた存在が、中村倫也という俳優さんだ。
崖っぷちホテルという、老舗ホテルが舞台のドラマを観て、あっという間に沼落ちしてしまった。競艇狂いの総料理長。すぐにひと回りは違う後輩のパティシエの女の子にその座を奪われてしまう、一見ふてぶてしいオラオラ男子、だけどちょっとヘタレで本当は世話焼きで優しい、私はそんな江口さんが大好きだ。
その何年か前に放送されていた、お義父さんと呼ばせて、というドラマで初めて存在を知ったのだけど、その時は渡部篤郎さんの息子の役の俳優さん、としか認識していなかった。自分は小学生の頃から渡部さんが大好きなので、渡部さん目当てに観ていたドラマだった。
歳が上なのもあって、倫也さん倫也さんと、テレビに手を振るようになった。新しく推しが増える高揚感は途轍もなく熱が上がる。舞台のDVDを買って、写真集を買って、久々の芸能界の新しい推しの出現に舞い上がったのを覚えている。ちょうどその後、朝ドラに出演した事もあってか、一気に露出が増えた。今日から、新しいドラマも始まる。カネ恋の後の、火10だ。
自分の日々の糧はエンタメの世界にあった。
嫌な事があっても、現実に心身ともに疲れていても、その世界があったから自分は毎日笑顔を忘れないでいられた。
知り合いでもない、現実に会った事もない、そんな存在からこんな大事な気持ちを与えてもらえる事に、感謝してもしきれない気持ちをずっとずっと感じている。その世界は、自分に楽しい気持ちしか与えてくれない、奇跡みたいな存在なのだ。
現実は、楽しい事も辛い事も表裏一体みたいな感じで、やり切れない思いを与えてくる。それが当たり前なのだろうし、自分だって周りにとってそんな存在なのだろうし、それが現実というものだし。その当たり前を受け入れがたいと感じてしまう自分にとって、やっぱり重要で大切で、特別な存在だった。
今だってそれは何も変わらない。いつだってその世界は、そこでずっと輝いている。
ただ自分の気持ちが、立ち止まったまま、少し動かしづらくなってしまっただけなのだ。
今日から新しい火10ドラマが始まる。すごく楽しみにしている。
この日まで、色んな番組で番宣をしていて、今日も朝から夜までその予定は当たり前のようにぎっしりと詰まっている。でも、どうしてもテレビのスイッチが押せなかった。
そう、本来ならこれが、ドラマの始まりなんだ。
私は、そう思ってしまった。また涙が出てしまった。その事が、そう思ってしまった事に、何とも言えないくらい途方も無い気持ちにさせられてしまった。
本来って、一体何なんだろう。
いつまで経っても、同じ事ばかり考えては振り出しに戻って。3歩進んで5歩下がったり、10歩下がったり、いつになったら2歩下がる日まで到達出来るのだろう。いつになったら、あの日の前までの気持ちを取り戻せるのだろう。そんな日は、もしかしてもう来ないのだろうか。
私は変に極端な思考回路を持つ気質なので、すぐに極論に辿り着こうとしてしまう癖がある。この、辛い、しんどい、という気持ちを一切無くしたい、無くさないと永遠にこのままだ、無くすには、無くすにはどうしたら、そんな事ばかり考えては泣きながら眠って、朝目が覚めて、その気持ちのまま、また泣くのだ。無くさないと、無くさないと、その気持ちばかりが逸って、より一層苦しくなる。私の「楽しい」は、一体どこにいってしまったのだろう。
でもきっと、「無くす」のは無理なのだ。
だって、どうしたって彼の事が好きな気持ちは変える事は出来ないし、変えたくもないから。
何なら、改めてもう一度、大好きになってしまったのだから。全く罪な男だと思う。
私は前を向くのが苦手だ。
気持ちを切り替えるのが苦手だ。
思いたくても思えていない事を、思わないといけないと無理をする事も苦手だ。
どうしたって苦しいし、今までこんな気持ち味わった事もないし、本当は、本音を言えば、忘れてしまいたいくらいだ。だって、苦しいんだよ。
それでも、どう頑張ったって変えられない現実が今もここにあって、自分はきっとこれからもこの現実を生きていくのだと思う。
この苦しみを忘れたくても、春馬からもらった、幸せな気持ちは忘れたくない。
だから、まだ、この気持ちを、無理をして消そうとしないでおきたい。
これからも何度だって後ろ向きになって、何度だってウジウジめそめそして、弱い自分を嫌になって、色んな部分で絶望を感じるのは、分かりきっているけれど。
好きなものを好きだと、真っ新な気持ちで感じられる日がくるまで。
いくらでも、グルグルウジウジめそめそしてやる。
勝手にそう決めた今日でした。
うーん、文字に起こすって、やっぱり本当に良いかもしれない。
心が何となく落ち着く気がする。
気がする、で良い。
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