Personal Space

今日は雨だ。
昨日までは梅雨の合間の晴れた空が見えてたんだけど。
「今年の梅雨は、梅雨っぽくない」って妹が言ってた。
確かにそうかもな。でもいつもの梅雨ってどんな感じだったっけ?
あんまり覚えてないな。
毎年今年の梅雨は長いとか、今年の夏は暑いとか、適当に言ってる気がするな。

話変わるけど、最近っていうか去年からずっと腰が痛くて。
座って勉強しすぎたからかなとか思ってて。
この歳で、しかもわたしヨガしてるのに腰痛とか、恥ずかしくて病院なんて行けないわって思ってたんだけど、ついに昨日行ってみた。

自分の身体なのにお医者さん(他人)に
「◯◯が問題ですね〜」って言われるの、なんか腑に落ちない。けど
「大丈夫ですよ」って言われて、薬飲んでるとやっぱり安心するところもある。
薬飲んでるせいなのか、昨日はあまり寝れず途中で起きて
今は頭がぼーっとした感じ。



私は病院があんまり好きじゃない。好きな人なんていないのかもだけど。
特に誰かの付き添いとかで行くのが好きじゃない。てか嫌い。
できれば行きたくない。
一緒について来てとか言われるのも嫌だ。断ると私は何て心が狭いんだって自己嫌悪になるから。後、私病気かもしれない、病気だから労ってってアピールされるのも嫌い。こう書きながらも、私心狭いのかなって自己嫌悪。
カウンセラーになろうとしてるのに、こんな態度でいいのかってね。


なんで嫌なのか考えてみると、ついて行ったところで、同情したところで私にできることはないと思うから。
その苦しみとか辛さは、結果がどうであれ結局その人自身が乗り越えるしかないと思うから。

「自己分化」って言葉がある。自分と他者を独立した存在として認めること。自己分化の度合いが高ければ、家族も含め他者の問題に巻きこまれること少なく、自分の感情と思考を整理できる。反対に、自己分化していないと
他人の問題に感情的に巻きこまれてしまいやすくなる、らしい。

私の人生を振り返ると、今私が色々と心の問題で悩んでいるのは
この自己分化が低かったことに起因していると思う。

家族の病気や問題に必要以上に巻きこまれて、自分を見失っていたっていうのか。他人境遇にのめり込みすぎてしまって、自分の人生を見失っていた感っていうのかな。なんかそうあるべきだと思ってた、のめり込むべきだって。だからみんな人生で周りの人の辛いこととかよく乗り越えていけるなって不思議だった。死別離別に自分も後を追わざるを得ないくらい、自分とその人をくっつけて見ていたと思う。それで自分の人生の意味を見失っていた。



それで、この自己分化の概念を知って、自分で実践していく中で
私は本当に楽になった。他人が辛さを抱えている時、同情はするし
労る気持ちもあるんだけれども、自分の人生もちゃんと進めるようになった。
だって、同情しながらも、私の人生だって限られたものでしょう?
だから与えられた時間の中で精一杯生きようと思ってね。


でも最近さ、私のこの態度って冷たいのかなって。ちょっと心苦しいんだ。
他人と線を引こうとしている私の姿を見て、周りが傷ついたり、悲しみを覚えている気がして。それに対しても自己分化で、相手が乗り越えるべき感情の課題
として分離するっていうことなのかもしれないけど。


私は人に心配されたくないから、病院も一人で行くし、病院に行ったことも
家族にもあんまり言わない。なんか干渉されるのもあまり好きじゃない。
健康診断の後とかに、「大丈夫だった?」とか聞かれるのも嫌。
見える疾患もそうでないものも、家族に対してですら隠す。この1年ぐらいでそうなった。みんなを巻き込みたくないから。

お母さんがすごく体調が悪くなった時に、余命宣告を数年前にされていたことを
聞いて、どうしてその時教えてくれなかったのかって。ずっと思ってた。そしたら
もっと違ったのにって。元気なうちにいろんなことできたのにって。
それがなんでなのか、今わかったかもしれない。

他者と自分の間に線を引く行為って、他者に対しての愛なのかもしれない。
その人がその人の人生を生きられるように。

私はいつも愛に基づいて、行動を選択できているだろうか。自分と他者のために。そうであればこんな風に悩むことはないはずなのに。

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