Reflexivity

今週は暑かったな〜
もう夏だ。梅雨が明けたら夏本番ね。

たまに、考え込んでるとき築いたら空を見るようにしてる。
そうするとよく言われる通り、空や宇宙と比べると自分とか悩みなんて
なんてちっぽけなんだって思えるからね。

わたしはまっさらな快晴よりも、少し雲のかかった空の方が好き。
雨上がりか、それか雨を感じさせる入道雲がもくもくしている
夏の空のが好きなんだよね。ずっと雲の動きを眺めていたくなる。
その先に何かあるのかなって、想像したくもなる。


最近というか今週は特に、内省ということについてよく考えた。
内省って辞書で引くと、自分の発言とか行動について、あるいは
そういう外的な発現物に限らないかもしれないけれども、自分の中で
よく考え直すこと。これはその人の強みにも弱みにもなりうる。

わたしは内省的な傾向が強くて、それをあまり空いていないところもある。
前回の記事で書いたこととも通じるんだけれども、人との会話とか
一方的な発言を何度も頭の中でグルグル反芻して、解決策を見つける訳でもなく
そのうちに段々と暗い気分になって、時間が経っても何でか心配で不安な
感じになることがある。

反芻思考、治した方がいいのかな。無くしたいのかな、わたし。


体調を崩していた時の反芻から、休み期間を経て、それでも今も体調を崩す前もやっぱり思考の反芻をわたしはよくする。大人ならみんなある程度はするもの。
けどわたし自身のその扱いは確かに
変わってきているかもしれない。

最近は、反芻に逆にどっぷり浸かることをしている。
避けたり、否定したりしないであえてじっと見つめる。
何で1日のうちでいろんな経験しているけれ、どこのシーンに
わたしは拘っているのかって考える。そうすると自分のことが見えてくるん
だよね。

例えばね、定期的に通っている病院にいく前に
わたしは今日何言おうかなって事前に考えるの。前回の受診から振り返って
メモしておくと、緊張とか不安がましになるから。

その日は、その前から調子が少しずつ良くなっていると感じているから
そのことをメモに書いて、日常でしている工夫なんかについても
先生に話したのね。

そしたら先生がわたしの話を聞いて、「よくなって来ているからこそ、無理しないでください」って言ったの。

この言葉がわたしにはなぜか意外で、引っかかった。

帰り道歩きながらずっとこのやりとりを反芻してた。ぐるぐるぐるぐる。
何でこんなに気になるんだろうって。
理性的なわたしは、先生はわたしのことを心配していってくれたんだよね。
ってわかっているんだけれども。でもなぜかグルグルグルグル🌀

で、しばらく浸かったら、分かった。
あ、わたし先生に褒めて欲しかったのかって。
先生に優秀な患者でしょ、ちゃんと治ってて偉いですねって
褒めて共感して欲しかったんだ、ってね。

でもそうじゃなかったから
わたしの考えが間違ってたんだ。どうしたら先生に認められる
回答だったんだろうって、心の奥で思ってたみたい。
こう書いてみると、なんか子どもみたいだけど。
まあわたしの心の奥は子どものままなのかもね。


そうだと分かるとそれだけで、心が晴れたんだよね。
晴れるって言ってもまだ雲は少しある気がするんだけど、わたしには心地いい晴れ方。


ふと見たYoutubeのビデオで
「私たちって人の言動に勝手に尾ひれつけて解釈とか判断するからこんがらがるんですよね。その場でもっと正直に言えたらいい」って言ってた。

たしかに対話ってグルグル思考の出口かもね。
だからってさ、わたしの上に書いた心の奥の想いを
先生にどう伝える?伝える必要ももうないなのかなとも思う。

人は他人にわかって欲しいって思う。
そう思うのは自分が自分で自分をわかっていないから、だからこそ誰かに分かって欲しいって思うのかもね。


うん、今週もなんかスッキリした。
わたしがスッキリしたからそれでOK

ではまた来週〜

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