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フェスの始まり🎇

長年楽しんでいた
夏のひたちなかロッキン。

10年ぐらい毎年の様に学生時代の友人と参戦していた。

ひたち海浜公園のあの広大さとのびのびした雰囲気暑すぎる陽射しの中テントを張り、朝からグッズを購入しひと仕事終える。
そして前日の疲れを癒す様に午前中からお酒を少々嗜む。

ちょっとだけ観たかった大トリの途中に抜け出し
美味しいラーメンを食べ、帰りに温泉に寄る流れであった(おっちゃんみたい💧)


フェスって多分
一緒に行く人が気心知れた相手だとより楽しく感じる。一緒に行ってくれてありがとう!と心から思い、更に楽しくなってしまう。
私はフェスやライブは同性と行く方が好きかも。

ひたち海浜公園のロッキンの千葉移転と共に友人達は仕事に家事、育児で忙しくなっていった。
中々会う時間、まして1日中何処かに行ったりするのも難しくなってきている。
ちょうどそんな人生のステージに突入している。
私ちょっと回り道してるから↓


あの場所でのロッキンが好きだったがコロナ禍の大人の事情で移転してしまったならもう仕方が無い。

ひたち海浜公園では模索しながらも新たなフェスが直ぐに始まり
今年からは更にステージを増やし規模を大きくしていくと知り、少しだけワクワクしている。


今は馬鹿にされたり、ロッキン程のブランド名も無く、集客や規模は小さいかもしれないが


確かロッキン開催時も人はまばらで、ステージも店舗も少なく、グラスステージの芝生に直にシートを敷き座っていた。
今とは全く違う光景だった様に思う。
当日券も余裕で買えていた。


昔大トリだった東京スカイパラダイスオーケストラの熱い夜を覚えている。
暗闇に妖しく光る赤いライトの下で踊り狂う人達。
盛り上がりはクラブ化していた。(クラブよく知らないけど)

そのロッキンの始まりを覚えている。
そしてまた始まりも感じている。

ロッキンと同様に昔はまだ今程全体が整備されていなかったひたち海浜公園には
年間通して全国からの来場者が増え、自然の中でリラックスしながら皆が笑顔になれる場所となった。


そして私には
次世代の新しいフェスを応援していきたい気持ちが少しずつ芽生えてきた。


音楽とあの公園の融合は本当に素晴らしいと昔から思っている。
あの場所で大好きなアーティストとの出会いも沢山あった。

ひたち海浜公園がある場所は
戦時中
日本軍水戸東飛行場であり、終戦後は米軍により射爆撃場として使われていた。

ひたち海浜公園HPより
公園建設中に見つかった不発弾
(ひたち海浜公園HPより)

無数の爆弾や銃弾が撃ち込まれた標的の跡は、今ではネモフィラやコキアが咲く花いっぱいのみはらしの丘に。


そして
誤爆や騒音に苦しめられた地元住民を中心とした十数年にわたる返還運動により昭和48年3月に日本に返還された。
地元の方々が平和の象徴である公園にしたい。と願い誕生したひたち海浜公園。
(ひたち海浜公園HPより一部抜粋)


その全ての悲しみ、苦しみを癒す様に
四季折々の草花が美しい景色を私達に見せてくれる。
まるでもののけ姫のエンディングシーンの様に。
人の手で荒れ果てた土地が静けさを取り戻し、徐々に緑に覆われてゆくあのイメージ。


日々心込めて管理している方々のお陰ですが。


今年は9月のロッキンも秋のコキアも楽しみです🍁



9月のロッキンには行きたいけど
そろそろ好きなアーティストのワンマンライブでいいかなーと思ってしまうお年頃になりました。

料金的に考えてもその方が沢山曲が聴けて好きなアーティストとの距離が近い感じがする。


暑い中
若い世代に混ざる盛り上がりや体力がやや厳しくなってきた💧
フェスも世代交代かしら(⁠⊙⁠_⁠◎⁠)

ロッキン、おひさです🤚

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