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まだコタキナバルに住んでたらどんな生活を送ってたのかな?と想像してみる

こんにちは、ちりです。

コタキナバルから帰国して今月で8ヶ月目になります。
私と同時期にコタキナバルに住んでた日本人も帰国してる人が増えてるそうなので、繋がりは薄くなったなぁと悲しいけど感じます。

確か去年のこの時期にコタキナバルから離れると決めてチケットを買った気がします。私は2020年の終わりには日本へ本帰国すると留学が決まった時からわかっていたので、予定通りではありましたが。
まだ学校卒業したわけではないですし、状況次第ではまだコタキナバルにいた可能性もあったかも?しれないです。まぁ理由が理由だからあまり喜べなかったとは思うけどね。
まだコタキナバルに住んでたらこんな生活をしてたのかな〜って想像をしてみようと思います。


1、ボランティアができないか探してた

コロナ禍でのコタキナバルで暮らしてた時は残念ながらボランティアをする機会はありませんでした。そもそもボランティア自体どこもやっていなかったです。こんな世の中でも、どこかボランティアやってないかな?って探したり、コネクションのありそうな人に聞いてたと思います。
私ができる範囲ならなんでもやりたかったなぁ.....
コロナ前からたまにしてたモスクでのお手伝いもしたかったけど、イスラム教徒でもないし、外国人がモスクにいるだけで迷惑かけたり、警察が来る可能性もあったのでできませんでした。

2、友達の家に居候

コタキナバルではひとり暮らしをしていました。
私は一人っ子なので、家で一人でいても苦ではないし、むしろ人といるのが苦に感じることのが多かったので、ひとり暮らしを選びました。
コロナ前は学校に行ってたり、ゲストハウスに毎週のように遊びに行き、ゲストと遊びに行ってたので孤独とは無縁な生活を送ってました。
コロナ禍で生活は一変、国から外には出るな、人と会うな、家にこもってろとロックダウンの生活になり孤独が続きました。いくら家で一人で暮らすのが苦でなかった人間でも、流石に何ヶ月も続くと限界です。
親子兄弟仲良くしてた友達の家に居候してたと思います。家族全員私のことを知ってるし、お母さんは「My daughter」と私のことを言ってくれた。一緒にご飯を食べる人もいる。ゲームー配信も見れる(笑)
そんな家族の元に居候してたかもしれないです。

3、でも病んでたと思う。

いくら友人家族といたとしても、Garab(タクシー配車アプリ)で一人で出かけたり、散歩するくらいの時間は作ってたと思います。マレーシアのGrabは初対面の人に色々聞いてくることもよくあります。私はまだその時若かったし、外国人がコロナ禍で生活してるのが珍しかったせいか色んなことを聞かれました。聞いてくるのはいいけど、何度も聞かれて辛い質問もありました。

「結婚はしないの?」
「子供は何人欲しい?」
「ボーイフレンドいる?」
「旦那はいるの?」

一度だけ聞かれたらなんとも思いませんが、これがほぼ毎日、毎週のように聞かれるのは心が辛くなります。私の場合、そもそも結婚願望もないし、身体的な問題もありパートナーを振り回したくないからずっと独身で生きると決めています。強くそう決めていても、何度も同じ事を聞かれ、聞こえると心労が増すんですね人間って
実はこの生活から早く逃げたいとも思い帰国を決めました。
日本に帰国した今は、聞かれることも基本的にないし、以前からSNSで日本語で私の気持ちを投稿してるせいか、誰も聞いてこないし、勧める子もいません。そういう意味では今はすごく快適に過ごしています。


コロナ禍でのコタキナバル生活はなんだかんだ辛い事のが多かったなぁ
もうあんな生活は2度と送りたくないし、マレーシアに住む事ももうないので送る事はないはず。
スッキリしてる気持ちも正直あるけど、いつになったらコタキナバルにまた行けるのか……
そこは複雑です。

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