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都農町町制施行100周年記念式典の最中、ふとJリーグ百年構想が頭をよぎる

1993年に開幕したJリーグは、1996年に百年構想を掲げました。

・あなたの町に、緑の芝生におおわれた広場やスポーツ施設をつくること。
・サッカーに限らず、あなたがやりたい競技を楽しめるスポーツクラブつくること。
・「観る」「する」「参加する」。スポーツを通して世代を超えた触れ合いの輪を広げること。
誰もが気軽にスポーツを楽しめるような環境が整ってはじめて、豊かなスポーツ文化ははぐくまれます。そのためには、生活圏内にスポーツを楽しむ場が必要となります。そこには、緑の芝生におおわれた広場やアリーナやクラブハウスがあります。誰もが、年齢、体力、技能、目的に応じて、優れたコーチの下で、好きなスポーツを楽しみます。「する」「観る」「支える」、スポーツの楽しみ方も人それぞれです。

これがJリーグ百年構想です。
多少なりともJリーグとかかわりを持っていれば、およそ耳慣れた言葉ではあるのですが、その実、それが意味するところを良くわかっていません。「百年」というキャッチ―な響きを採用したこのコピーでしたが、その構想の説明には「百年」が存在していませんでした。

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私が住む都農町は2020年8月1日に都農町町制施行100周年を迎えました。11月1日、記念式典が行われることとなり、私もツノスポーツコミッションの代表として出席させていただく機会に恵まれました。
式典の類を退屈で好ましくないと感じるのは私だけではないはずですが、これも大事な仕事、軽快な足取りとはいきませんでしたが、少し早めに会場に向かいました。

式典は10時からでしたが、開式を待つ間、会場には都農町の100年の歩みをまとめた映像が流れていました。定刻となり開式すると、お偉方の挨拶が続いたのち、様々な分野で都農町に貢献された方々・団体に対する町政功労賞の表彰が行われました。1時間と少し経ったところでつつがなく閉式となりました。いわゆる記念式典の典型のような式典でした。しかし、決して無味乾燥な式典ではありませんでした。

挨拶で、あるいは表彰で、私の知らない人たちの名前や私の知らない出来事が、私の知らない感情と共に次々と紹介されていきます。私は2019年4月に越してきたばかりで、まだ都農に住み始めて2年も経っていません。たまたまこの町政施行100周年の節目の年に都農にいることになりましたが、そこには確かに100年の歴史が存在したのです。さらには、町政が施行される前からこの土地に居を構え、生活し、文化を育んだ先人たちがいたのです。そんなあたりまえのこと、それでいて日々の中では頭をよぎりもしないようなことを感じさせるには十分な式典でした。

さて、私が携わるツノスポーツコミッションは、2019年4月に設立されたばかりですが、その年8月に都農町およびJ.FC MIYAZAKIと協定を結び、2020年にはJ.FC MIYAZAKIを都農町へ誘致しました。地方創生を目指すJ.FC MIYAZAKIは、Jリーグ昇格を一つの目標に掲げています。そのためはまず、Jリーグ百年構想クラブに認定されなければなりません。まさに今、その準備を進めているところです。

Jリーグ百年構想を掲げたJリーグよりも、それぞれの地域で活動するクラブの方がはるかに深く理解しているのだろうと思いますし、またそうでなければならないと思います。そこには地域の人がいて、地域の生活があって、地域の土壌があって、地域の文化があって、地域の想いがあるからです。だからこそ、私たちもただJリーグ百年構想クラブに認定されればいいということではなく、拠点を置く都農町を中心とするこの地域での百年構想の意味合いを考えなければなりません。

百年構想の「百年」は言うまでもなく「永い」という意味で使われているのでしょう。永く続くことそれすなわち良いことというわけではありませんが、永く続くにはそれなりの理由があることもまた確かです。この100年の日本の歴史を振り返ってみても、様々な外的要因によって人口も経済も産業も生活も文化もめまぐるしく変化しています。この先も思いもよらない事態が次々と起こるに違いありません。それでも続いていくためには、あらゆる環境の変化に適応できるだけの柔軟性、しなやかさを持つこと、そして、そこにあることがあたりまえであることが求められるのだろうと思います。

2014年に発足したJ.FC MIYAZAKIは、7年目にして早くもホームタウンを移転するという大きな転換期を迎えました。今はまだその話題性をもって都農に受け入れられ始めたばかりの段階です。都農の町や人たちにとって、あってあたりまえの存在になるために何ができるか、どう在るべきか、それをこの地域の中でしかできない表現方法で実現していくことが求められているのだと、切に感じた次第です。

自分の真意を相手にベラベラと伝えるだけが友情の行為ではないということさ。それがわたしの提唱する真・友情パワーだ…(キン肉アタル)