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都農町議会議員選挙2023を振り返る

私たちツノスポーツコミッションのメンバーである小松原駿が、先に行われた都農町議会議員選挙に立候補しました。

若さと行動力で新しい風を!」というテーマのもと、地縁も血縁もない都農町での初めての選挙戦は惜しくも次点(28票差)での落選となりました。ここで、この選挙戦を振り返り、私なりに感じたことをまとめておきたいと思います。

小松原駿の選挙戦略

まずは、彼が初めての都農町議会議員選挙にどのように臨み、またそれによってどのような結果が得られたのかについて記したいと思います。

地縁も血縁もない中で350票を積み上げる

さて、よく田舎の選挙戦は地縁と血縁で決まるというようなことが言われておりますが、先にも述べたように、都農町に移住して3年に満たない小松原には地縁も血縁もなければ、町内での知名度もほとんどなきに等しい程度のものでした。
私は、過去数回の町議会議員選挙のデータを振り返り、今回の選挙の立候補者を見たときに、仮に投票数が5,000~5,500票として、400票取れば確実、ボーダーラインが350票前後になるのではないかと予想。投票率や投票先のばらつき具合などの要素によって、すべてが良い方向に転がれば300票でもギリギリ当選の目もあるのではないかと考えていました。ですが、この300票、350票はかなり高い壁です。選挙戦に入る前に小松原が都農町内の知り合いをざっと挙げてみたのですが、総数わずか150名。当然知り合いだからといってすべての人が投票してくれるわけではありませんので、選挙戦前の時点で見込める票数は、高く見積もっても100票が現実的な数字なのではないかと思っていました。ここからさらに250~300票を上積みするのは困難を極めます。しかも、本人も含め、まわりには選挙に詳しい者が誰もいませんでしたので、非常に厳しい選挙になることが予想されていました。
この状況において、どのように選挙戦に臨めばいいのでしょうか。選挙戦を迎えるにあたって整理したのは、小松原が立候補するに至った問題意識や、議員になってどのような町にしていきたいのか、またそのために具体的に何を実行していきたいと考えているのかです。これは選挙に立候補するうえでは至極当然のことであって、本来ならここに書くまでのことではないようにも思いますが、今回の選挙を振り返って思えば、このあたりまえの部分が随分と希薄な候補者も多く、そのことが今回の小松原の健闘につながったのかもしれないと感じています。

議会に対する問題意識と立候補の目的

小松原が立候補するに至った問題意識は、議会が十分に機能していないこと、議員の高齢化により若者の声や移住者の声が届けにくい状態であること、議員全員が男性で女性の声が届けにくいこと、議員の考えや政策が見えてこないことなどが挙げられると思います。これまでの議員の皆さんの尽力によって都農町が支えられてきたことは間違いありませんので、議員個々の活動を否定するものではありません。都農町に限った話ではなく、多選の議員が多かったり、選挙が無投票で終わってしまったり、あるいは議会の年齢構成、性別の割合などによって、どこの市区町村でも出てきてしまう側面だと思います。それが今の都農町議会には当てはまってしまっているという状況だったのです。
特に議員の高齢化と女性議員の不在についてはことさらに深刻です。3期前に30代で当選した議員も今回で4期目を迎え、今では40代後半。その議員以降は30代以下の議員はもちろん、候補者すら出ていません。ちなみに現在の議員の平均年齢は60歳を軽く超えています。また、女性議員が在籍していたのは遡ること4期前に1名、それ以降はこちらも候補者すらなしという状況です。議員どころか立候補する若者、女性すら出てきていないこの状況を言い換えると若者や女性が政治に参画しにくい風土、興味を持てない環境がすっかり出来上がってしまっているということになります。
小松原の最大の問題意識はここにあったのだろうと思います。そして、これを打破する方法は誰かが具体的な行動で示す以外になく、それには、まだ30代前半の若者であり、しがらみもなく町の風土に染まり切っていないよそ者である小松原自らが立候補することが、彼ができる最善の行動だと考えたのだろうと思います。

今後の都農町のまちづくりに向けた4つの政策提言

これらの現状を踏まえつつ、都農町に移住しておよそ3年の間に、スポーツによるまちづくりに関わる事業を推進してきた小松原が、事業を通してあるいは都農での生活を通して感じてきたことから、今後の都農町のまちづくりに対して打ち出した政策提言が以下の4点です。

【政策提言①】スポーツ✖まちづくり施策を加速させます!
【政策提言②】「子育てしやすい町、都農」へ!
【政策提言③】多世代が交流できる場作り、コミュニティ作りを推進します!
【政策提言④】もっと身近な議会にしていきます!

なお、政策提言の具体的な内容については【都農町議会議員候補者「小松原 駿(こまつばら しゅん)」の応援演説に代えて】に書いておりますので、ここでは割愛します。興味がある方はそちらをご参照ください。

小松原が訴えかけるべきメインターゲット

立候補の目的をとっても政策提言をとっても、小松原が今回の選挙戦でもっとも訴えかけるべき対象は、小松原と同じ30代前後、10代から40代あたりの若者世代や、同じ境遇の移住者であろうことは明らかでした。
これは、長年の地縁や血縁で投票するという文化が比較的薄い層とも重なり、立候補者のほとんどが60歳以上であることを考えても、他の候補者の支持層とはおよそ異なる層だろうと思われます。ただし、人口比で言えば少ない世代であることに加え、一般的に投票率が低いと言われている世代でもあります。いかに投票行動に移してもらえるかがポイントになるだろうと考えていましたが、もちろんその一歩を踏み出してもらうのが難しいところでもありました。
もう1つの層は、これまでの3年間で私たちの事業に関わっていただいた方々です。政治という側面からではありませんが、私たちツノスポーツコミッションでは、スポーツを通してまちづくりに資する事業を具体的に動かしてきました。そこで出会った方たちの中には私たちの活動に対して好意的な方も多く、一緒になって取り組んできた方たちが少なからずいました。これは他の議員にはない小松原の強みの一つになり得るだろうと思います。中にはすでに昔から応援している議員がいらっしゃる場合も多いとは思いますが、それでも新参者の小松原が議会に入ることで、より豊かな都農町になるだろうと希望を抱いてくれる方々もいることは間違いないと感じていました。
このように小松原が当選するには、若者、移住者、そして事業に関わる方々を軸に応援してくださる方々を増やしていくことが不可欠であり、唯一の道であると思われました。

公職選挙法による選挙活動の制限

ただ、いざ準備を進めていくとなると、現実は非常に厳しいものでした。
初めての選挙と言うこともあり、公職選挙法の内容や解釈、運用を正しく理解し、不備や違反がないようにしなければならないため、小松原はことあるごとに選挙管理委員会に質問を繰り返していました。そして、知れば知るほどに選挙期間中や選挙期間前にできることはかなり制限されていることが分かってきました。
ここでは詳しく書きませんが、例えば、選挙期間前は政治活動は行ってもよいが選挙運動は行ってはいけないとか、選挙期間中に選挙カーでは名前は言ってもよいが政策を言ってはいけないとか、ばったり会った人へのお願いはできるが個別訪問でのお願いをしてはいけないとか、細かいルールが決められています。
選挙期間前は現職議員が議員活動報告のチラシを配るのは問題ありませんが、新しく政策を打ち出す選挙用のチラシを配ることはできません。選挙に立候補すると明言することも禁止されているそうです。選挙に向けての具体的な行動が難しい中で準備を進めなければなりませんし、選挙運動ができる選挙期間は、町議選の場合は投票日前日までの5日間しかありません。ただでさえ知名度のない小松原が、わずか5日間で350~400もの票を集めなければならないのは至難の業に思えましたが、それでもできることをやっていく以外にありません。

政策提言を訴える選挙運動はチラシと自転車と街頭演説で

最終的に小松原が選択した選挙運動の方針は、政策提言を自分の言葉で丁寧に伝えるという、本来の選挙のあるべき姿ともいえるような至極まっとうな選択でした。具体的な方法は大きく分けて4つです。

政策提言を伝えるチラシとハガキ

まず一つ目は、チラシとハガキでの表現です。チラシやハガキは配布できる枚数や方法が公職選挙法によって定められていますので、どの候補者も手段としては同じですが、記載する内容はまちまちです。小松原は移住者仲間の30代のイラストレーターと、若干20歳の都農町出身の写真家に協力を仰ぎました。目立つけれども嫌みのないきれいな色味で、ポスター、チラシ、ハガキ、すべて統一感のあるデザインとなりました。また、チラシのオモテ面には分かりやすいメッセージと政策提言の大枠、プロフィールを記載し、ウラ面で政策提言の具体的な内容を記載。あたりまえのようで意外と中身がないチラシも多い中で、定められた範囲でできる限りの表現を心がけていました。なお、チラシは街頭演説での直接配布か新聞折込での配布しか方法がありません。おおよその配布地域の指定はできたので、若い人たちが多い地域を指定しましたが、そもそも若者世代は新聞を取っていない場合が多いため、アプローチが難しかったことは間違いありません。

選挙カーを使わない新しい自転車巡回スタイル

二つ目には、選挙カーを使用しないと決め、自転車での町内巡回をすることにしたことです。先にも書いた通り、選挙カーでは候補者の名前を発することはできても政策や公約を語ることは禁じられており、小松原は今回の選挙に当たる前から、ただ名前を連呼するだけの選挙カーに、ましてや候補者自身はほとんど手を振るだけの選挙運動に何の意味があるのかと疑問を持っていました。今回の選挙ではじめて選挙カーでできることがここまで規制されていることを知り、その一定の効果を認めたうえで、それでもなお選挙カーでの選挙活動をしないことを決断。その代わりに自転車で町内を駆け回り、出会った人に直接話をする方法を選択しました。もちろんその裏には、選挙カーを準備するだけの潤沢な資金がないという事情もありましたが、もし本気で選挙カーが必要であればどうにかして拠出できたとは思います。おそらくほとんどの候補者が何の疑問も持たずに選挙カーで名前を連呼する中、ただ一人小松原だけが選挙カーを使わない選挙戦を繰り広げることになりました。

王道にして異例の街頭演説

三つ目が街頭演説です。自転車で巡回しているときには、選挙カーと違いスピーカーを使用することも禁じられていますし、選挙カーのように上に看板を乗せて走ることもできなければ、代わりにのぼりなどを代用することも認められていません。ですので、タスキをかけて自転車を漕いでは、出会う人に話をしていくしかありません。そのため、もっと多くの人に自分の考えを聞いてもらうには、人が集まる場所で街頭演説をする必要があります。許可をいただける場所が限られていましたが、その範囲内でいくつもの場所で街頭演説を実施しました。私はこの街頭演説は、選挙カーとならんでかなり一般的な手法だと思っていたのですが、いざ始まってみると他の候補者は誰も街頭演説をしていないようで、どうやらこれまでも町議選で街頭演説をしていた候補者がほとんどいなかったようで、はじめて都農で街頭演説をしている人を見たという声をいくつも聞きました。

現代の主流にして他に類を見ないSNSによる発信

そして4つ目がSNSでの発信です。インターネットが普及したのがいつだったか覚えていないくらいには月日は過ぎており、SNSを見ない日はないくらい一般的になっているにもかかわらず、町議選に先立って行われた県議選では、いくら検索しても候補者の政策が一切何もわからずじまいでした。60代以上の候補者ばかりの町議選も、おそらくそのような状況になることが予想されましたが、だからこそあえて毎日noteを書き、各種SNSで発信していました。なおSNSも他の選挙運動と同様に、選挙期間中しか選挙運動としての発信はできません。
さて、一体どれだけの町民が町議選に興味を持っていて、さらにはそのうちどれだけの町民が候補者の掲げる政策について調べようとしていたか、これは本当にごくごく少数だったと思います。つまり、今回の選挙において一票を獲得するという点においてはおそらくほとんど効果がなかったのではないかと思います。ですが、まったくもって無駄ではなかったと私は強く確信しています。このことについてはまたいずれ書く機会があるかもしれません。

追い上げ届かずわずか28票差の次点

初日のポスター貼りも実働部隊が私を含めてわずか2名、A3用紙に印刷された都農町全体の地図に掲示板の位置が示されていましたが、一度貼ったことがあるか、よほど町内の道に詳しくないとすぐにはわからないような地図です。よそ者の私たちには難易度の高いミッションで、貼り終えたのは候補者の中でもっとも遅くなってしまいました。
本人は自転車で町内を駆け回り、また許可をとっていた場所で街頭演説を繰り返し、なんとか一人でも多くに知ってもらい、投票に行ってもらい、自分に投票してもらおうと努めました。
かくして5日間に渡る選挙期間を走り切った小松原でしたが、私には、日に日に着実に票が積み重なっている感覚がありました。私個人としては、どうしても外せない仕事の都合で実働部隊としてはほとんど役に立てなかったことが悔やまれます。
5日間を終えて迎えた投票日、この日は選挙活動は一切できませんので、ただ結果が出るのを待つのみでしたが、やるべきことをやり切った小松原は、どこか吹っ切れた様子にも見えました
結果は305票、定員10に対して11番目の得票数となり、惜しくも落選。わずか28票差という結果でした。

いったい誰が小松原駿を応援したのか

小松原の初めての都農町議会議員選挙は、大方の予想に反し大健闘を見せました。おそらく誰もここまで迫るとは思っていなかったのではないかと思います。都農町内の知り合いが150人ほどしかいない、と言っていた小松原に305票が集まりました。果たしていったい誰が小松原に投票したのか、正確にはわからないまでもおおよその想像をしてみたいと思います。

都農での3年間に関わった人たち

私たちツノスポーツコミッションは、スポーツによるまちづくりや人材育成などを通して地域課題の解決にあたっており、サッカークラブの誘致やアカデミー設立をはじめとした、都農町、ヴェロスクロノス都農との連携協定に基づく「つの職育プロジェクト」を推進しています。小松原の立候補に際し、私たちツノスポーツコミッションのメンバーはもちろんですが、ヴェロスクロノス都農の選手やスタッフみんなが応援してくれたことは素直に嬉しいことでした。
また、つの職育プロジェクトやその他の事業を通して、小松原本人が直接関わっている事業者や農家さん、あるいは本人ではないにしろ私たちメンバーが関わっているたくさんの方々が挑戦を後押ししてくれました。長く都農に住んでいればいるほど、地縁や血縁も含めていろんな面での関係性があるため、小松原を選択することは難しくなると思います。関わったすべての人たちが一票を投じてくれたわけではないにせよ、少なくとも応援の意思を示してくれただけでも本人にとっては大変心強いものだったと思いますし、私たちもとても嬉しく思いました。本当にありがとうございました。

刺激を受けた同世代の若者たち

街頭演説を聞き、あるいはチラシを見て感動した、勇気をもらった、自分でも何かしないといけないと感じた、という20代から40代の若者世代の声は少なくありませんでした。小松原の存在を知らなかった若者や、存在自体は薄っすら認識していたけれどよく知らなかったという若者も多くいたと思います。政策提言の内容もさることながら、よそから移り住んできた若者が町のために立ち上がっている姿を見て、長く都農に住んでいる同世代が感化され、応援してくれたことは、まさに小松原が選挙に出る目的であった問題意識に対する一つの成果だったと思います。

議会を変えてほしいと若者に期待するお年寄り

予想外だったのはお年寄り世代です。自分の地区から議員を出すことが大事とか、親族が出ているから応援しないといけないとか、そういった地縁・血縁で投票する文化が根強く残ると言われている都農町にあっても、いざ自転車で駆け巡れば声をかけてくださり、街頭演説をすれば耳を傾けてくださる方々が多くいました。自転車の子頑張ってるね、演説聞いて感動した、という声がちらほら聞こえ始めたかと思えば、期日前投票を済ませてしまったけどもう少し早く演説を聞いてたら投票したのに、という声までありました。
私自身の反省でもありますが、話を聞いたり聞いてもらったりすることで共感できる方々は世代に関わらずたくさんいるということが分かりましたし、いつの間にか世代でくくってしまっていたことに気がつかされました。

都農町外、宮崎県外からのエール

そして、これはこれまでの都農町議選ではおそらく異例のことだと思いますが、投票権のない町外、県外の人たちが大勢応援してくれました。小松原が都農町に来るまでに過ごしてきた30年間に繋がってきた方のほとんどが都農町外で生活をしています。その人たちが小松原出馬の報せを受け、小松原の師匠でもある内田樹先生を筆頭に、多くの方々が次々とSNS上で応援メッセージを書き込んでいきました。地方議会の在り方や公共、まちづくり、といった分野に関心が高い方もたくさんいらっしゃいました。これをきっかけに都農町という人口1万人の小さな町のことを知った人もいるでしょうし、こういう若者がいる町だということで興味を持った人もいると思います。そういった方々に都農町を知ってもらえて、興味を持っていただけたことは思わぬ効果でありました。慰労会と称して都農に足を運ぶ計画をしてくださっている仲間もいると聞いていますし、票にはつながらないものではありますが、他の候補者にはできなかったことの1つです。

若さと行動力で新しい風は吹いたのか

さて、「若さと行動力で新しい風を!」というテーマを掲げた町議選でしたが、結果は落選、新しい風を吹かせることができませんでした。普通ならそういう結論になるのかもしれません。ですが、私はこの選挙を通じて、落選はしたけれども都農町に新しい風が吹いたと確信しています

誰かの言葉ではなく誰かの行動が誰かの心を動かす

「若さと行動力で新しい風を!」を紐解くと、「若さ」「行動力」「新しい風」となるわけですが、言わずもがな「若さ」については34歳という都農町史上最年少議員を目指して立候補したわけですから、年齢という数字的な若さはもとよりわかっていました。ですが、それだけでは十分ではありません。この「若さ」には、これまでの議員にはなかったような若者を代表するような、言い換えればこれまでの議員にはなかったような考え方や感性を示すという意味合いが込められていたように思います。そして、その考え方や感性を「行動力」をもって示すことが必要だったと言えます。私はその点でも「若さ」と「行動力」を十分と言える程度には示すことができたのではないかと思います。
都農町に限った話ではありませんが、議員が掲げる公約が見えてこない、選挙カーはうるさいだけで迷惑、などの声は選挙のたびに全国各地そこかしこであがっています。若者の投票率の低さも問題になっていますが、若者に選挙に関する情報が届かなくてはそれも当然です。それに対して小松原は、具体的な政策提言を示したチラシで議員として活動するうえで必要不可欠な指針を明確にすることで自らの言動に対する責任を示しました。ただ名前を連呼するだけの選挙カーでの選挙運動は行わず自転車を使用。街頭演説や一人ひとりの町民との対話を通して政策への理解を求めました。新聞折込でチラシが届いた人にだけでなく、誰でも情報を取得できるようにSNSも活用しました。こうした細かいけれども確かに今までとは異なる一つひとつの積み重ねが「若さ」を「行動力」で体現していたように思います。これまで疑問視されることのなかった旧態依然とした選挙の在り方、議会の在り方に一石を投じたことは間違いありません。
そして、それが「新しい風」を吹かせたのかどうかについては、ほとんど誰にも知られていない移住3年目のよそ者が、人口1万人の町で305もの票を獲得し、当選あと一歩のところまで肉薄したという事実を見てもわかると思います。先に書いた若さと行動力が、当初想定していた若者世代のみならず、高齢者層を含めた幅広い世代から応援されることになりました。そして、口々に励ましや応援、期待の言葉を投げかけてもらえたことは、これまであたりまえだと思っていた現状を、どこかで打破したいと感じていた町民がいかにたくさんいたのかを示していました

変わらざるを得ない都農町議会

今回の町議選では、現職が9名中7名、新人は候補者4名のうち小松原を除く3名が当選しました。特筆すべきは新人3名が得票数上位を独占したことです。当選者数の割合だけで見れば、現職77.8%に対し、新人75.0%とほとんど同じですが、得票数を見ると現職は1名あたり平均363.1票に対し、新人は平均528.8票を獲得しています。これは明らかにこれまでの4年間(前回無投票であったことも鑑みれば8年間)の議会に対する評価と言っていいでしょう。小松原がここまで票を伸ばせた要因の一つです。このままの議会ではいけないという危機感が選挙結果に表れたことを、議員一人ひとりが重く受け止める必要があると思います。
では、一体何をすればいいのか、何を変えていけばいいのか。一概には言えませんが、まずすべきことは議員一人ひとりが町民の声をつぶさに聞くこと、そして自分たちがしていることを広く町民に伝えることが第一歩ではないかと思います。
私は都農に来て4年が過ぎましたが、ツノスポーツコミッションの取り組みについて、宮崎県議会や他県の市町村議会、スポーツ庁等からのヒアリングや視察はあっても、都農町議会や議員からのヒアリングは一切ありません。都農町との連携協定による取り組みであるにもかかわらず関心を持たれていないのです。この調子ですから、おそらく日常的に議員と接点がある町民を除いて、ほとんどの町民や事業者、あるいは事業やプロジェクトは、誰も何も聞かれることがないのではないかと想像されます。議員は町民の声を届ける代表者でもありますので、今一度その原点に立ち返り、まずはいろんな意見を吸い上げることが必要不可欠だと思います。それは間違っても自分を応援してくれる人たちだけにとどまってはいけないのです。
私は何度となく議会を傍聴してきているので、誰がどんなことに問題意識を持ち、どの程度の積極性で議員の仕事にあたっているのか、なんとなく感じ取れるようになってきました。中には本当にやる気があるのか、と疑いたくなるような議員もいれば、とても熱心に自分の考えを行政にぶつけている議員もいます。しかし、傍聴に行かなければそれがまったく伝わりません。傍聴アンケートに議会のネット配信を要望しているのですが、それが実現しそうな見込みはありませんし、それに傍聴できる議会以外にも議員の仕事はたくさんあるはずですが、議会だよりだけでは見えてきません。選挙前に活動報告を配布していた議員もいましたが、選挙のためのアピールにしか見えず逆効果です。議員が個々に町民へ伝える手段を考え、その努力をしていただけるだけで、随分と議会への関心や理解が深まると思います。

4年後の都農町議会議員選挙

小松原は選挙結果を受けて、あと一歩だっただけに悔しさも大きかった様子でしたが、今のところ4年後の町議選にもチャレンジする意思があるようです。もちろん4年も先のことなのでどうなるかわかりませんが、やりがいと手ごたえを感じていると思います。そして、これは私の見解ですが、おそらくこのまま着実に活動を続けていけば、次回は間違いなく当選するだろうと思います。まったく知名度のない中で出馬した今回ですら、私の感覚ではあと1日でも選挙期間が長ければ逆転して当選していたのではないかと思うくらいの状況でしたから、38歳で迎える4年後も引き続き若さと行動力をもって臨めば当選するには十分な支持を得られると思います。しかし、私が期待するのはそんな簡単な選挙ではなく、小松原が苦戦する4年後です。
小松原が示したのは、きちんと政策を訴え、町民との対話を大事にすれば、地縁や血縁がなくても、若くても、よそ者でも、お金をかけなくても、十分に議員になれる可能性はあるということです。それを示したかった相手と言うのは、同じく若者であり、同じく移住者であり、また今は議席を持っていない女性であるわけです。今回当選した議員の平均年齢は63.7歳(4年後には67.7歳)、全員が男性という都農町議会はとてもバランスがいいとは言えません。少数意見を拾えてこその民主主義です。そのためには、やはり議員の構成も様々な属性の人に散らばってほしいと思うのは自然なことでしょう。
小松原でもここまでできたのですから、これを見た多くの方が、自分にもできるかもしれないと思い、また4年後に勇気をもって立ち上がってもらえたら、小松原の今回の町議選の成果としてはこれ以上ないものとなるのではないかと思います。たくさんの若者が、女性が、移住者が立候補すれば、現職議員も小松原も間違いなく苦戦を強いられます。そんな4年後を私は楽しみにしています。

おわりに

この選挙戦でもっとも大きく変化したのは、誰であろう小松原駿自身だったと言えるでしょう。
言うは易く行うは難し。政治について、社会について、生活について、地域について、何につけても不満をぶつけることは簡単なことです。その中で、いった何人が、どのような政治が、社会が、生活が、地域が望ましい状態かを考えられるでしょうか。さらにその中で、いったい何人の人が、望ましい状態にするために具体的にどうすればいいかを提案できるでしょうか。さらにその中で、いったい何人が、その実現の為に自分の責任で行動を起こすことができるでしょうか。
私が知る小松原は、あれがおかしい、これがおかしいと、常に世の中の何かに対して問題意識を持っていました。そして、あんなことがしたい、こんなことがしたいと、やってみたいことをいくつも抱えていました。ただ、これまでは口には出すものの、実際に実行するところまでにはなかなか至りませんでした。都農町地域おこし協力隊として、ツノスポーツコミッションの一担当者として、いくつかの事業にあたってはいましたが、あくまで枠組みを与えられた中でこなしていくに過ぎませんでした。
ところが、町議選への出馬を考え出したのとリンクするように、およそ1年ほど前ごろからツノスポーツコミッションの事業も自分の考えを多分に盛り込んだ形で進めはじめ、またその枠外の活動も積極的にするようになってきたのです。

今回の町議選への立候補は、本人にとって覚悟と勇気が必要な大きな挑戦だったと思います。これを経た今、どこか虚ろにも思えた言葉にもようやく魂が入ったというような感覚を私は持ちました。小松原には憧れる諸先輩方がたくさんいますが、これまではどこまでいっても埋められない決定的な差を感じていたのではないかと想像します。もちろんまだまだ差はあるでしょうが、この選挙を経て、地続きの差とでも言いましょうか、次元としては初めて同じところに足をかけることができたように思います。すべての責任を自分で背負って何かに挑戦することでしか得ることができない、実態を伴った言葉を手にしかけていると言ってもいいと思います。

彼はこの先、多くの挑戦と失敗を繰り返すことと思います。もともと器用な方ではないので、やることなすことほとんどが思っているように進んでいかないのではないかと思います。そのたびに葛藤を繰り返しながら、何かをつかんでいくのでしょう。私はその無様にも見える姿をこれからも見届けていきたいし、それに期待し、応援していきたいと思っています。
都農町がそれを受け入れられるかどうかは定かではありませんが、きっと大丈夫なんじゃないかなと、そう思えた町議選でした。

自分の真意を相手にベラベラと伝えるだけが友情の行為ではないということさ。それがわたしの提唱する真・友情パワーだ…(キン肉アタル)