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ぼくたちにとって、まずい事なんかが起こるはずがないじゃないか

おはようございます。ちらしのおんちゃんです。
3月下旬から急に仕事が忙しくなりあまり活動ができてません。助けて!!
なのでゲームとかもプライベートのこともバタバタしていてなんの余裕もないです。困った。

noteは全然書いてないと「はよ書けや」って連絡が来るので先にタラタラ書いておきます。

謎に万バズった

はい、これは過去の記事に出てきた友人のことですね(多少のフェイクは入れてありますが友人氏スマン…)

いろんな意見がありましたが、やはり睡眠不足からの体調不良等の実体験引用リプライなどを見ると、大半の人には「睡眠不足は悪」になるんだろうなぁと思います。
勿論、夜勤等でなかなか睡眠時間が取れない方も居るとは思いますが、できるだけいのちだいじにして欲しいですね。
友人知人が若くして亡くなるのは悲しすぎますし…

神の気まぐれで人は存在を消したり復活させたりすることができるかもしれない

特にシロクマ先生のブログは昔から読んでるしたまに過去記事も読み返してます。なかなか考えさせられる内容が多くて楽しいです。

上記の記事を読み、ふと思い出した話がある。

過去、それこそお見合結婚が主流だった時代は「見合い相手と結婚してそれからお互い信頼関係を築いていく」のが当たり前だった。
それから恋愛結婚が主流になり、選んだ人と相思相愛になって結婚が当たり前になり、現在はそこから「マッチングアプリ等で条件ありきの出会いがあってそこで恋愛感情を抱けるかどうかで判断する」という流れになっている。

SNS時代になり、無限に人と知り合える世の中。
不快な人はサクっとブロックし、気の合う仲間とやりとりをするのが主流になっている。
いろんな話を聞いていると、昔よく聞いた
「好きな人に何回もフラれたけど、それでも諦めないで猛アタックの末お付き合いできた」
「ケンカ別れして、暫く経って偶然再会してまた遊ぶようになった」
みたいな話は今殆ど聞かない。

自分のご機嫌を自分で取り、他人の不機嫌には不寛容になった世の中。
その中でパートナーを探すも、ちょっと不愉快になったら「なんか違うなぁ」とあっさり関係を切る。
そんな世の中になっても何故か「恋人や友人が欲しい」と理想の相手探しは終わらない。

今は、人を切ることが簡単で、ワンクリックで一切の情報を遮断することができる。
最初は躊躇していても、ソレを繰り返すことによって慣れてくる。
そうなると、人間ってどうなってしまうと思う?と聞かれたことがある。

昔は、出会いなんて今の何万分のいちくらいしかなかったんだよね。
それこそ恋愛だって職場か学校、お見合いレベルでしか出会えなかったし、友人の見つけ方もさほど変わらないかなぁと思う。
その数少ない出会いの中で「次はないかもしれない」と恐れながら、何とか目の前の人とわかり合えないかと試行錯誤していたわけだ。

しかし、そんな世の中はもう過去のこと。
ワンクリックのお手軽になった世の中では、不快なものもワンクリックでお手軽に切れる。
そうなると、もう目の前の人とわかり合いたいなんて感情自体が湧いてこなくなるんだそうで。
そもそもわかり合わなくても出会いがいくらでもあるから「そのうち気の合う人に出会えるだろう」という感覚になってしまう。
実際自分もそういう思想になってきてると思うし。

わかり合わなくても良い。となったらまぁ他人なんて所詮そのときの自分と利害が一致すればそれでいいんじゃない?という感覚になってしまう。
こういう思想の人が良い人か?って言われるとちょっと怪しい。私の感覚では。

しかし、今は割と「条件ありきで人づきあいを選択する」世の中なんだから当然の感覚ではあるんだよね。

そうなるともう、「生殖目的以外の異性との交流」とか「目的が一致しない交流」とか不要でしかないわけで。
なんか急にディストピア感が出てきたけど、ほんのりそんな世の中になりつつあるな、と感じる。
条件ありきので出会うのは結構だと思うけど、人間なので失敗もするし、時には健康を損なって仕事もできない状態になるかもしれない。
常に自分を高められる人って少ないと思うし。年を取れば難しくなることもたくさんあるだろう。

条件に一致しなくなったらポイっと気軽にワンクリックで関係をなかったことにできる気軽さが怖いと思う時がある。

 ふっ、と拭い去ったようにノリオの悲痛な呼びかけが消えた。彼らが存在することをやめたのに違いなかった。ごく気軽に人間を存在させたり抹消したりできる「彼女」を、その気軽さゆえに七瀬は怖ろしいと思った。

筒井康隆. エディプスの恋人(新潮文庫) 七瀬シリーズ . 新潮社. Kindle 版.

まぁ自分も勿論気軽に関係をなかったことにできるわけで、たかが一般人の自分がまるで神になったかのように振る舞える世の中というのも不思議な感じ…
人類は神に匹敵する能力を手に入れた…のかもしれない。(あ、これネタバレか)

いろんな人が気軽に他人の存在を抹消し続けた先に一体何が残るのか。
その答えは今すぐにではなく、恐らく数十年後に結果が出ると思う。
そのときに私が生きているのかは解らないけど、どういう結果になるのか愉しみではある。

と、改めてエディプスの恋人を読み返してふと考えた内容をダラダラと書いてみた。
神の子のパートナーとして選ばれた主人公。条件ありきで仕組まれた出会いから植え付けられた恋愛感情。そしてそこから逃げられないと悟った彼女の絶望と、それでも消すことのできない感情。自ら幕を下ろす決断をした彼女は。

kindle版には書評がないんだけど、文庫本には書評がちゃんとあって、そこに書いてある「世の中は筒井康隆が書いた通りになりますぞ」という言葉が真実味を帯びているところがいやはや、凄いな、と思った。
あと、智広にまっったく共感できなくて正直エディプスの恋人はあまり好きじゃないかもなぁという感想です。はい。

自分が考える、想像する「人間らしさ」のモデルは家族八景や七瀬ふたたびの登場人物だったりするのだけど、21世紀の今はこのモデルは古いものなのか。それともまだ「らしさ」として通用するのか?果たして。

>そうなると、もう目の前の人とわかり合いたいなんて感情自体が湧いてこなくなるんだそうで。

智広も「そもそもわかり合う必要がない」という意思で生きているから、冷淡だったり人が消えてもなんの感情も湧かないのかもしれないな、と思った。
これがエディプスの恋人が発刊されたときからの未来=現代の感情の在り方なのかもしれない。

今回はソンナカンジ

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