#11 「老い」について
あと1ヶ月ほどでまた歳を重ねます。自分は誕生日が年末にあるので、クリスマス、誕生日、お正月の3つのイベントが1週間ほどの間にやってきて一気に終わるジェットコースターのような人生を過ごしてきた。そのせいか、「誕生日は冬の風物詩」というイメージが未だに脳内にこびりついている。当たり前の話だが、誕生日は人それぞれに違うもので春や夏や秋の風物詩に感じる人もいる。
人は誕生日の0:00になった途端に1歳年を重ねたりしない。切れ目なく段階的に年を重ねていく。別な言い方をすれば、デジタルではなくアナログな年のとりかたをする。そう考えると、誕生日ってただのアニバーサリーで、恋人と祝う記念日と何が違うんだろう。
年をとると何が変わるのだろうか。まずわかりやすいのは外見の変化や体力の衰えか。久々に帰省したら母親の手が皺だらけになっていて急に切なくなったなんてのはよくある話だ。老眼鏡を作りに行ったとき、メガネ屋で若い店員に対応された父親はどんな気持ちだったのだろう。これらは、言ってみりゃハードの変化。人間の体もハードウェアと考えれば「経年劣化」てなもんで、時とともにガタが来るのは当たり前の話だ。
じゃあ、ソフトのほうはどうだ?これは、時間に左右されないのではないかというのが僕の持論。パソコンやスマホに入れるソフトウェアだって、アップデートしなければバージョンはそのまま、現状維持だ。人間の中身もきっと同じで、老いていくハードに追随してソフトもアップデートしてやる必要がある。
今回は「『老い』について」。
「いつまでたっても若いね」という称賛もあれば、「まだまだ若いな、お前も」という言いぐさだってある。若さとは、平たく言えばいいものでも悪いものでもあるということだ。
じゃあ、「老い」はどうだ?誰かに面と向かって「老けたね」といって喜ばれたことある奴いるか?「渋い」とか「貫禄がある」とか、別な言葉でポジティブに表現されることはあるにしても、「老い」という言葉そのものにはネガティブなイメージしかない。だから人は老けることを(一般的に)嫌う傾向にあるのではないか?
それならば、と。中身は若いころのまんま、ハードだけ老けた自分を想像してみてほしい。若いっていうのは20歳やそこらじゃなく、極端に5歳くらいの頃のまま老けたと、そういう風に考えると、たとえば見た目はヨボヨボなのにアンパンマンがこの世のすべてみたいな人物像が描ける。ウルトラマンでもキティちゃんでも妖怪ウォッチでもいいけど(古い?)。それってグロテスクだし、たとえその人が世界最高齢のギネスに載るような長寿だったとしても、恐らく尊敬できない。それは普通は5歳児を大人が尊敬しないのと同じこと。
要するに老いというのは経験値で、人生に対する説得力のようなものではないかと。ちゃらんぽらんに過ごしていれば何も説得力は生まない。真面目な話になっちゃうけど、日々勉強して中身をアップデートさせていかないと、自分が過ごしてきた時間に対して薄っぺらくなる。外見はiPhoneXだけど中身はWindows95みたいなことになる。そうならないように鍛え続けることが生きるということなのかな、とか思ったりしている。
で、来月26になる俺は、26歳という数字に対してどーなのよ。30歳になったとき、その節目の年齢にどう責任をもてるのよ。音楽や仕事や社会とどういう風に付き合うことが「説得力のある」人生なのよ。
年齢だけいっちょ前に振りかざす姿ほど虚しいものって、ないぜ。
Chira
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