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大奥(PTA) 第十四話 【第三章 鷹狩り】

【第三章 鷹狩り】


<燧袋(ひうちぶくろ)>

 奥方様はお答えになります。
「ああ、あの梅の木ね。あれは昨日、竹丸たけまるが実を転がして遊んでいたら、誤ってしょくしそうになったのですよ。青い梅は、人も犬も食べるとあたると申しますのに」

 竹丸? 犬? 昨日? 安子様は不思議に思われました。確かご夫君ふくんのお話しでは、幼い頃に竹丸たけまると言う名の黒犬を飼っていたとは伺っておりましたが、お義母かあ様は今は御犬は飼われていらっしゃらぬ筈。それが昨日、悪戯いたづらをしたとは如何いかに? 御心にふつふつと湧き上がる疑問符の雲を払われながら、安子様は菓子盆かしぼんに置かれた愛らしい和菓子の事に話を向けられました。

「お義母かあ様、何と愛らしい練り切りに御座いましょう」

「そう? 今日は花子ちゃまがいらっしゃると伺って、可愛らしいのを用意しましたのよ。」
 お小さい花子様は、桃色に、芯の辺りが淡い黄色に染めてある梅型の練り切りを、今か今かと頂きたそうに眺めておりました。

「あ、そうそう。菓子切かしぎり(和菓子用フォーク)を用意するのを忘れておりました」
 奥方様はそうおっしゃると、
「それならば、私が取りに行きましょう」
 と、安子様はお腰を上げられます。

「あら、悪いわねえ。ではお願いして良いかしら。水屋箪笥みずやだんすの右側の引き出しに入って居るから、取ってきて頂けると助かるわ」

「ええと、水屋箪笥みずやだんすはと……。こちらですね」

 安子様はお一人でくりやまで行かれると、水屋箪笥みずやだんすをお見つけになりました。歴史ある黒光りしたその棚は、上半分うえはんぶんには丸い引き手のめ込まれた片開かたびらがあり、真ん中辺りに二つ抽斗ひきだしがありました。安子様は奥方様に言われた通り、菓子切かしぎりを探そうと右側の抽斗ひきだしを引くと、意外なものがお目に止まったので御座います。

「これは……。朱色の燧袋ひうちぶくろでは御座りませぬか」

 先ほどお話の中で、お義母かあ様が御女中に盗まれたと仰っていたのは、確か朱色の燧袋ひうちぶくろだった筈。水屋箪笥みずやだんす片開かたびらの方にしまって居られたとの事でしたが、今、抽斗ひきだしの中に入っているのも同じ朱色の燧袋ひうちぶくろ

 安子様は、これはもしやと思い、中を検分しようと恐る恐る丸い巾着型の燧袋ひうちぶくろの紐を緩めました。
「あ、これは」

 燧袋ひうちぶくろの緩めた巾着きんちゃくの口から銀色に光るものを見て、安子様は驚きで思わず声を出しそうになられました。

 袋の中には、一分銀いちぶぎんが五枚(約12万円)入っておりました。

 お義母かあ様は、お女中の初島はつしま様がぜにを盗んで暇を出したと仰っていたのだけれども、それとおぼしき朱色の燧袋ひうちぶくろは、こうして銭も入ったままここにある。これはもしや、お義母かあ様が水屋箪笥みずやだんす片開かたびらに仕舞ったものと思い込んで、実際は抽斗ひきだしの方に入れたままお忘れになって居たのでは? ぜには恐らく初島はつしま様が盗んだ訳では無いのであろう。もしそうだとしたら、長年この御家おいえに仕えて来た、気性も真面目で忠実な初島はつしま様の御心おこころは、如何いかに傷ついた事であろう。

 安子様は、大変胸が痛む思いで御座いましたが、先程、奥方様が今飼って居る訳ではない御犬を、まるで昨日のことの様にお話しなさった事なども考え合わせると、これはどうやら私一人でどうにも解決出来る問題では無い、お義母かあ様のご認知に問題が有られるのやも知れぬ。自宅に戻って旦那様に御相談致しましょうと、そう考え直されたので御座います。

「これは見なかった事に致しましょう」

 安子様は、抽斗ひきだしから竹の菓子切かしぎりを三本取り出されると、朱色の燧袋ひうちぶくろひもを元通りに結び直し、元置いてあった通りの場所に戻されると、そっと抽斗ひきだしをお閉じになられたので御座います。

<杯(さかずき)>

 奥方様の屋敷から戻られますと、安子様は早速夕餉ゆうげ支度したくに取り掛かられます。

 本日、安子様は帰り際にお寄りになった御豆腐屋で、揚げたての飛竜頭ひりゅうずと、魚屋では初鰹の酒盗しゅとう(肝の塩辛)を手に入れられました。安子様は、これはお酒のお好きな旦那様の晩酌にはもってこい、きっとお喜びになられることでしょう、とかまどに火を入れ米を炊き始め、朝から戻して置いた切干し大根などを具に、汁物でも作ろうかと忙しくくりやで立ち働いておいででした。

 むっはん(午後7時)を回りました頃、ご夫君ふくんがお戻りになり食卓に着かれると、安子様はすずのちろりでよい塩梅あんばいに、ご夫君ふくん好みのぬるかんをお付けになられます。ご夫君ふくんは卓上に好物の鰹の酒盗しゅとうをお見つけになると、珍しくご機嫌で晩酌を始められました。

 太郎君たろうぎみは男の子らしく揚げ物には目が無いようで、まっ先に飛竜頭ひりゅうずに箸を付けられます。
「これ、太郎、まずは頂きますをしてからでしょう?」

 安子様はそう仰りながらも、まずは皆、さいがお気に召したようで何より、さて、お小さい花子にはもう少し柔らかいものをご用意致しましょうか、とお思いになり、またくりやに向かおうとした矢先に、ご夫君ふくんが安子様にお声をお掛けになりました。

「ときに安子、本日はお袋様ふくろさまはどのような御様子であった?」

 ご夫君ふくんのご質問に、安子様は一瞬身の固まる思いで御座いました。何処から何処までお話しすれば良いのか迷われた安子様でしたが、ようやっと口をお開きになりました。

「お義母かあ様……。確かに御息災ごそくさいでいらして、花子も私も本日は大変良くしていただきました。ただ……」

「ただ?」

御犬おいぬを……。旦那様はお小さい頃、竹丸たけまると言う黒犬くろいぬをお飼いでは御座いませんでしたか?」

 急に御犬おいぬの話になり、少し戸惑ったご様子のご夫君ふくんでございましたが、
「ああ、確かに。その様な御犬おいぬを飼っておったことが有る。しかしもう廿年にじゅうねん以上も前の事だ。悪戯者いたずらものだが可愛い奴であったが、その竹丸たけまる如何いかがした?」

 安子様は意を決した様に、言葉をお継ぎになられます。
「それが……。お義母かあ様がその、昔飼っていた御犬おいぬを、まるで今飼っていらっしゃるかの様に、お話しになられるのです」

 ご夫君ふくんさかずきを持つ手を止めて眉をひそめ、お顔を曇らせになりました。

#創作大賞2024 #ホラー小説部門


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