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大奥(PTA) 第七話 【第二章 三役揃い踏み】
【第二章 三役揃い踏み】
<お支度>
皐月(5月)の宿下り(連休)の時期も終わり、寺子屋に通い始めてほぼひと月、大きな背負子(ランドセル)を肩に背負い、毎朝大奥(PTA)御当番による御旗振りに見守られながらの寺子屋への御道中、太郎君も大分お慣れになって来た頃合いでしょうか。
安子様はいつもの様に、夜がまだ明け切らぬ晨朝に床をお出になられ、井戸からお手の赤切れに染み渡る冷たき水を汲み、竈に火を入れ、朝餉の支度をし、ご夫君、お子様方が朝餉を召し上がる間も、ご自身はおかけになるいとまも無く、家事に勤しまれておりました。
太郎君のお背負子の中身を確認なさり、太郎君の草履やお召し物の身支度を整え、更にはご夫君の裃(スーツ)のご用意も致します。
お二人方を送り出された安子様は、息つく間も無く数え三つ(2歳)の花子様が食べ散らかされた朝餉の米粒やら、おこぼしになられたお茶やらをお拭きになられると、ここでようやっと、一つ大きくふう、と息をつかれました。と申しますのも安子様は悪阻もまだ落ち着いておられぬ四月の身重のお体でいらっしゃいましたから、そのしんどさは如何ほどのものに御座いましょう。
ただ、安子様は本日はご自身と花子様のお支度をして外出をなさる御用事が御座います。昼四ツ(午前10時)には寺子屋に参り、大奥(PTA)御吟味方(選出委員)の初顔見世に出向かれるので御座います。
安子様は、朝餉を召し上がろうと茶箪笥から御自分の茶碗を手に取った所、目に入った御円卓に御家族の方が残した焼き魚、煮物、汁物など、あらかたご自分が頂く分には十分な量が有ろうと見て取ると、洗い物も増えるだろうからとご自分の茶碗を茶箪笥に御戻しになり、冷たいままの麦飯と焼魚の残りを、その間も花子様がおいたをなさらぬ様傍目に見守られながら、気忙しくつついて召し上がられました。
五ツ半(午前9時)の鐘楼の鐘が鳴るのを耳にされた安子様は、
「あら、いけない。もうこんな時分に」
と一人ごちながら、御手はてきぱきと花子様の襁褓をお替えになり、矢飛白の単衣姿のお背中に花子様をおぶり、紐で御自身に結えなさってから、お出かけ中お使いになるであろう、でんでん太鼓やお八つやら、手拭いやら襁褓やらの大荷物を、風呂敷に手早くお詰めになりお抱えになると、慌しく草履をお履きになったので御座います。
ほんにまあ、一人手(ワンオペ)にてお子をお育て中の、ましてや身重のお体にとりましては、たとえ除痘御接種(予防接種)の折の様な短時間のお出かけであっても、たいへん難儀なことなので御座います。
その日は幸いお天気には恵まれておりましたが、お背中にお子を背負うて歩く道のりは、安子様の身重のお体には相当息が上がるもの、とは言え数え三つ(2歳)のお子を歩くがままにさせておけば、とても昼四ツ(午前10時)の刻限までに寺子屋に辿り着けるはずも御座いませんので、安子様はどうしたって三貫(約11kg)ほどの目方のお子様と、一貫(約4㎏)以上はあるお荷物を抱えての道行になります。
寺子屋への道中、水の綺麗な小川が流れており、その川沿いの馬車の轍に沿って六町(約600m)ほど歩かれました先の小高い丘の上に、太郎君のお通いになっている寺子屋が御座います。小さなせせらぎを縁取る様に、川縁に伸び始めた葦の緑の中、ぽつりぽつりと燕子花の紫色が彩って居るのが見良い景色に御座います。
赤子をおぶわれた安子様の目線は、どうしたってお足元に向かいます。小さく可憐な苧環の青い花が頭を垂れているのに見惚れる間は無いものの、皐月の川縁の空気は清々しく、気持ちの良いものだと安子様は思われたのでした。
お足元の苧環の花からふと目線をお上げになった安子様は、橋の袂に見知った人影が有るのに気が付かれました。
「あ、常磐井様ではございませんか」
常磐井様も安子様にお気付きになり、笑顔でお手を振られます。
「安子様、大変お久しゅう御座います。まあ、花子様もしばし見ないうちに一回り大きくなられましたねえ」
普段使いの鳶八丈の単衣をお召しになり、黄色い帯をやの字に粋にお結びになった、安子様より少し丈立ちの高い常磐井様は、安子様の背におぶわれて、その揺れに合わせきゃきゃとご機嫌な花子様に目を細められると、小さな花子様の御手をお取りになり、ご自身のお口元を小さくぷうとお膨らばせになると、ばあ、と小声であやされました。それでますますおはしゃぎになる花子様を、安子様も肩越しに笑顔で見守られます。
「さて、常磐井様、本日は何処かへお出かけにございますか?」
と安子様がお尋ねすると、
「それがね、ご入学の儀のお役決めの時分、月組も最後に残ったお役を吹き矢で決める運びとなってしまい、運悪くも、私が吹き矢に当たってしまいまして……」
と常磐井様がお答えになります。
「左様にございますか?して、何のお役目に御座いますか? まさか……」
安子様のお尋ねに、常磐井様は、
「あろう事かのそのまさか! あの日、あんなにあのお役目だけはご勘弁、と自分で言っていたのにねえ」
とお答えになる。
「あ、それではもしかして、私と同じ……?」
安子様と常磐井様は、お二人で声を揃えます。
「御吟味方(選出委員)!」
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