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大奥(PTA) 第十三話 【第三章 鷹狩り】

【第三章 鷹狩り】


<水無月>

 御吟味方ごぎんみがたのお役決めから一月ひとつき以上経ちましたでしょうか。梅雨の僅かな晴れ間、五月晴れの本日、暑くも寒くも無く外出にはちょうど良いお天気に御座います。

 安子様は本日、旦那様のお母様でいらっしゃいます、御近所にお住まいの牧野家の奥方様おくがたさま宅をご訪問される事になっております。ご自宅をお出になる時分、ご自分のお御足みあしで歩ける歩けると張り切っておられた数え三つ(2歳)の花子様は、二、三十歩歩いた辺りで、お母様、おんぶおんぶとねだられまして、やはりおぶひもの出番となり、安子様は花子様を背に、道をお急ぎになられました。

 旦那様のお話では、何でも奥方様は、先ごろお女中と折が合わず辞めさせたばかりとの事で、本日は安子様に御様子を見て来る様、お命じになったので御座います。

 安子様の知る奥方様は、武家のおなごの習いとして、いつも背筋をぴいんと伸ばし矍鑠かくしゃくとされ、御感情を表に出さず、穏やかなれどてきぱきとお女中方を取り仕切る、頼もしいお方であった筈にございますのに、此度こたび長年奉公しておりましたお女中を辞めさせるとは一体、どう言ったご事情が有るので御座いましょう。

 そもそもの安子様とご夫君ふくんの御結婚の経緯いきさつが、奥方様が熱心にお勧めする御縁談をお断りしてのお話であったこともあり、元より安子様と奥方様の折り合いはさほどよろしくはない上、奥方様には頼りになる古参のお女中がお付きでいらっしゃいましたので、お互いにご近所にお住まいとは言え、日頃からの行き来は殆ど御座いませんでした。

 安子様と花子様が屋敷の門前に至りますと、前に訪れました際にはきちんと人の御手おてが入り、切り揃えられました正木まさき前栽せんざいが旧家の格を物語る様子で御座いましたのに、本日は、所々ですが不揃いな若芽が張り出しておりました。

 しっかり者のお義母かあ様にしてはお珍しいこと、と安子様はふとお思いになられましたが 、お女中が暇を取って間もないのだから無理もない事やも知れませぬ。

「御免くださいませ」
 安子様は前栽せんざいを抜け御庭に入られます。なつめ水鉢みずばちの横に植えられました梅の木には、新緑の青々とした葉と葉の間に、香りの良い青梅あおうめがいくつも実っておりました。

 花子様がぴょんぴょんと飛石とびいしを飛んで表玄関に向かわれます。

 飛石とびいしの通路を挟んで向こうに植えられている八朔はっさくの実は、ほぼ採られる事なくそこらじゅうに落ちており、白黒の尾長おながの群れが、ぐえと声を出しながら落ちている実をついばんでおりました。

 それでも、やはり水縹みずはなだ色や浅蘇芳あさきすおう色にお庭に咲き誇って居る紫陽花あじさい額紫陽花がくあじさいは、この時期は大変見応え有るものに御座いました。

<奥方様>

 奥方様は縁側近くで立花りっかを生けていらっしゃる処にございました。華道師範の腕前を持つ奥方様でしたが、本日ははさみが上手く使えていらっしゃらないご様子で、見事な中紅なかべに色の芍薬しゃくやくを、がくのすぐ下辺りで切っておしまいになり、短すぎて使えぬと見てもう一本取って切り始めた所で安子様と花子様にお気付きになり、元より少し足がお悪いので、体を傾けながらゆっくりとした所作で茶室に通されました。

 見事な御点前おてまえで背筋を伸ばされて薄茶うすちゃをお入れになるお姿は、以前と変わらぬ奥方様でした。花子様も、大人の見様見真似で小さなお手で茶器を回されて居るのが可愛らしく、安子様との折り合いは良くないものの、さすがに孫は可愛いらしく、厳格な奥方様も相好そうごうを崩して微笑まれました。

 太郎君たろうぎみのご入学の儀のお話など、当たり障りのない会話が進んで行きましたが、話題が先日暇を取って出て行ったお女中のことになると、奥方様は安子様にとって、少し気がかりな御言葉を口にされたので御座います。

 奥方様の所で長年奉公して居るお女中は名を初島はつしまと言い、大変働き者で気回しの効く得難えがたいお女中なのですよと、奥方様は常日頃から御自慢のご様子でした。ところが奥方様はこの時、意外なお話を安子様に切り出されたので御座います。

「まあ、聞いて下さいませ。それが、先頃大変な事が起きたのですよ。初島はつしまが、水屋箪笥みずやだんす片開かたびらにしまってあったぜにを盗んだのです。朱色しゅいろ燧袋ひうちぶくろに、確かに入れて置いたのに」 

 まさか、と安子様は一瞬ご自分の耳をお疑いになりました。お女中の初島はつしま様と言えば、代々奥方様に仕えて居るおいえの出で有る上、安子様がじかにお会いした時の印象も、大変実直なお方とお見受けされました。その初島はつしま様が、万に一つも銭を盗むなどと言うことをなさるだろうか?

 奥方様はお続けになります。

「まあ、初島はつしまにも色々御言い分が有るのでしょうが、この様な次第になったからには、もう暇を取らせるしか無いと思いましてね」

 何かおかしい。お義母かあ様の仰る事が全て確かなのだろうか? これは初島はつしま様の方にも話を聞かねば本当の所は分からないのでは? 心の中ではそうお疑いになった安子様でしたが、実の母娘おやこでもない上、たまにお会いするだけの間柄、ここは深く話を掘り下げぬ方がと思い、努めて話題をお変えになりました。

「ところでお義母かあ様、先程お庭を拝見させていただきました。今、青い実の成っているあの梅の木、早春には大変見事な花を咲かせたものに御座いましょうね」

#創作大賞2024 #ホラー小説部門


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