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大奥(PTA) 第十八話 【第四章 青梅】
【第四章 青梅】
<決意>
時は、鷹狩御手伝いの日の四ツ半(午前11時)まで遡ることに致しましょう。安子様と常磐井様が寺子屋の仮の馬場(駐輪場)で小石拾いをしていらっしゃった頃合いに御座いましょうか。
どんよりと曇った空から冷たい雨がぽつりぽつりと落ちて参りまして、安子様の御夫君の御母君の所に長年仕え、今は暇を出されてしまっている女中の初島様は、唐傘を差しましょうと手元に目を落されますと、道端に植えられている額紫陽花の四角い白い額に雨粒が輝いて、真珠のようで趣きが有るものよ、と心惹かれました。
ただ、初島様のお心はむしろ、今のこの重たい雨雲のように晴れぬ不安なお気持ちで、仮住まいの長屋から、牧野家の奥方様のお屋敷に向かう途中の小路をお歩きになっているところで御座いました。
初島様のお家は代々奥方様に御仕え申し上げて来て、此度の様に盗みを疑われた事などただの一度も無く、以前はあんなにお優しかった奥方様が、近頃どうしてこんなに変わられてしまったのか、初島様はどうしても御納得いかず、もう一度膝を突き合わせて奥方様とお話しなければと思い至られ、意を決して牧野家の近くまで、重い足をお運びになられたので御座います。
初島様が勇気を出してここまで歩みを進めて来られたのは、昨日奥方様のご子息の奥様でいらっしゃる安子様が、わざわざ下町の仮住まいの長屋にまで訪ねて来て下さり、初島様の背中をお押しになって下さった事も、大きな理由の一つでしょう。
そうだ、安子様も私が盗んだ筈がないと仰って下さっている。もし、自分の心にやましい所が無いのならば、奥方様は話せば必ずお分かりになって下さる筈。
今は草葉の影にいらっしゃる私の祖母や母は、奥方様が幼い頃より御仕えしており、奥方様が牧野家にお嫁入りする時分にも付き添って共に参った間柄。手塩にかけてお世話申し上げ、武家の奥方様としてこれ程申し分ないお方は滅多に居りますまい、と事ある毎に奥方様を褒め奉っておりましたし、私、初島自身もこちらにて御奉公出来る事を、長年誇りに思って参りました。
叶うことなら以前同様、奥方様の元で奉公させて頂きたい、もしそれが許されないにせよ、せめて金子を盗んだと言う誤解だけでも解いて置かなければ、奥方様一筋に仕えて来た祖母にも母にも申し訳が立つまい。
初島様はあれこれと思いを巡らせながら、唐傘にぱらぱらと小雨が落ちる中、奥方様のお屋敷の門前まで辿り着かれたので御座います。
その時に御座います。門前の前栽の物陰から、大きな声が聞こえましたのは。
<青梅>
「花子! 花ちゃん、どうしたのです!」
初島様は、すぐにそのお声が奥方様のものだと分かりました。
と同時に、小さな子が呻く様な泣き声も聞こえて参りましたので、初島様は慌てて屋敷のお庭に駆け込んだので御座います。
太郎君もその叫び声を聞いて、縁側で読んでいらっしゃった御本を投げ出し、梅の木の下で呻き声を上げている数え三つ(2歳)の妹の元へ駆けつけました。
奥方様は、初島様の姿をお目に留められると、
「は、初島。花子が、花子が青い梅を。うめを」
と、搾り出すようにそれだけ仰り、身も世もないご様子で、泣きながらその場に座り込んでおしまいになりました。
初島様が、梅の木の下で倒れ込んでいらっしゃる花子様をご覧になると、小さい子供の歯形が付いた青い梅の実が、その足元に転がって居るのが目に入って来たので御座います。
「花子様! 大事ございませぬか?」
初島様はそう仰ると、これは恐らく花子様が青い梅の実を誤って食してしまったのではないかと見て取り、泣きじゃくる花子様のお口に御自分の指を入れ、取り敢えず口の中に入って居るものをお吐かせになりました。
ああ、どうしよう? 初島様は動揺でいったん頭の中が真っ白になりました。
ああそうだ、確か橋向こうに稚児医者(小児科医院)が御座いました筈。こうしてはいられますまい。そうだ、奥方様は?
初島様は、花子様を膝に抱き、そのお口に指を入れたまま、その横で呆然と立ち尽くしていた七つの太郎君にお声をかけられました。
「急ぎ、押し入れにある座布団を二、三枚出して敷くのです。分かりますか?」
初島様は、座布団がしまわれて居る押し入れを目線で指し示すと、太郎君はこくりと頷き、押し入れに走って行って座布団を三枚取り出し、縁側近くの和室に並べました。
「有り難う。あと、押し入れにある紐も、取って来られますか?」
初島様がお願いすると、太郎君は 、
「はい」
と怯えた様な声でお答えし、押し入れから着付けの紐を2本取って参りました。
初島様は太郎君から紐を受け取ると、それをおぶひも代わりにして、ご自分の背中に花子様を結えつけると、そのまま立ち上がり、ご自身のどこにその様なお力が隠されていたのかと思う程に力強く、倒れ込んでいる奥方様を抱き抱え、先程太郎君がお敷きになった座布団に、そっとお寝かせになりました。
「奥方様、ほんのしばしそこでお休みになっていて下され。私は花子様を稚児医者(小児科医院)に連れて行って、すぐに戻りまする」
初島様は横になられて居る奥方様にそうお声を掛けますと、背中の花子様が揺れ過ぎない様お気を付けになりながらも、出来得る限りの早足で駆け出されました。
太郎君は心配そうに、急ぐ初島様の背中を追って走って着いて参りました。
道中、初島様は太郎君に事の次第をお尋ねになりました。
「本日は、お母様は如何なされましたか?」
初島様がこの様にお尋ねになると、太郎君は、
「本日、お母様は明日の御鷹狩(運動会)のご準備のため、寺子屋(小学校)にお出かけでございます。」
「まあ、それでおばあさまの所にいらっしゃったのですね」
「いいえ。本日はお父様の表(会社)のお仕事がお休みでしたので、お母様はお父様に子守りをお願いして寺子屋に向かわれたのです」
それでは一体何故、先程は奥方様の御屋敷に、お子お二人と奥方様だけでいらっしゃったのでしょう?
初島様は不思議に思われました。
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