見出し画像

大奥(PTA) 第三十四話 【第七章 試練】


【第七章 試練】

「倒れた時分、見ていた者は居るかい?」
 赤鬼あかおに先生がお尋ねになると、
「はい。私が」
 と、太郎君たろうぎみがお答えになりました。

「倒れる時、何かに頭をぶつけたりはして居ないね?」
 赤鬼あかおに先生の言葉に太郎君たろうぎみは、
「いいえ。その場に足から崩れるようにお倒れになりました」
 とお答えになりました。

「外傷は無し、か。後はこのまま静かに寝かせて置いて様子を見るしか無さそうだな。おけい、予断は許さない状況だ。四半時しはんとき(30分)ごとに患者さんの脈を取り、赤ん坊の心音を聞いて報告しなさい」
 赤鬼あかおに先生は、御自分の娘であり看病中間かんびょうちゅうげん(看護師)の常磐井ときわい様に指示を出されました。

「花ちゃんはもうおねむね。お布団を敷きましょう。太郎ちゃんも、もう眠った方が」
 常磐井ときわい様は安子様のお子様達を気遣われました。
 太郎君たろうぎみはお母様が万が一、もう二度と目をお覚ましにならなかったらどうしよう、と心配で心配で胸が潰れそうになっており、眠るどころでは無いのか、ただ黙って首を左右に振るのみでした。

<正論>

「しかし、何でまた幼い子供の居る女子おなごらが、夜中に雁首揃えて出歩いて居たんだい?」
 赤鬼あかおに先生が呆れた口調で呟くと、
「寺子屋の大奥(PTA)のお集まりだったので御座います」
 おりんさんがそうお答えになりました。

「大奥(PTA)って言ったって、夜は足元も覚束おぼつかねえし、夜盗が出るかも知れない。そんな時分に、ましてや妊婦が子供らをほっぽらかして、お集まりも何も無えだろう」
 赤鬼あかおに先生が呆れた口調でぼやくと、すかさず太郎君たろうぎみが、真っ直ぐな瞳でこう仰りました。
「いいえ、お母様は私達をほっぽらかしてなど居ません。お父様に私と花子をお頼みになって出立しゅったつなさったのです」

「ほう?」

「ただ、お父様は早々そうそうにぐっすりと眠り込んでしまい、起こしても全然お起きにならないので、仕方なく私が花子を外のかわやに連れて行ったところ、こんな事になってしまって」
 太郎君たろうぎみは、殆ど涙声になって、一生懸命にこうお話されました。

 それを聞いた赤鬼あかおに先生は、血圧が上がったのか、額や眼窩を真っ赤にして怒りの表情を露わにされました。

「あんの牧野の小倅こせがれめ、今度会ったらただじゃあ置かねえ」

 その時、常磐井ときわい様が何かを思い出されたように、
「あ、そうでした。今夜はなにぶん急な事が続きましたので、安子様のご主人の事をすっかり忘れておりました。今、呼んで参りましょうか?」
赤鬼あかおに先生にお尋ねになりました。

「いいや、お慶。今夜はもう夜も遅い。明日の朝にしなさい」
 赤鬼あかおに先生はそうお答えになり、青い顔で息も絶え絶えのご様子で横たわって居る、妊婦の患者の安子様に心配そうに目をやると、未だ怒気が収まらない御様子でこうお続けになられます。

「しかしまあ、寺子屋の大奥(PTA)ってやつは、一体どう言う了見で、御母御達おははごたちをこんな夜遅くまで拘束していやがるんだ。
 小さい子供ってのは片時も目を離しちゃいけねえ生き物なんだよ。この人みたいに下のお子がまだいとけなかったり、お腹に赤子あかごが居る場合も有るのに」

 赤鬼あかおに先生のお言葉に対し、おりんさんは、
私共わたしどもも、大奥(PTA)が本当に必要な事かは良く分からないんですが、大奥(PTA)はお子達の為に昔から有るもので、母御ははごたるもの、たとえどんなご事情が有ろうとも、そのお役から逃れることは出来ないと申されるのです」
 とお答えになりました。

 赤鬼あかおに先生はますます血圧を上げて、大きな目玉がぎょろりと落ちんばかりの怒気でこう返されます。
「お子達の為? それが本当にお子の為になっておるのか?
 いいか、子供ってのはちょっと目を離した隙に、どんな大怪我をするか分からん生き物なんだ。だから親は子供が小さいうちは、四六時中見守ってやら無くちゃあならねえ。子供にしてみたってそうだ。何も夜中に不安で怖い思いまでさせる事は無かろう」
 そう仰って、赤鬼あかおに先生は、涙目になって頷いている小さい太郎君たろうぎみのお顔をご覧になりました。

「それに聞いた話じゃあ、メリケンじゃ小さい子供だけを置いて親が出掛けちまったら、おかみにしょっ引かれるって言うじゃねえか。それをもとじゃあ堂々と、お子の為のお集まり、という名目で、しかも夜中にやっちまうんだからな。預け先が見つからねえ人だって多いだろうに。
 今日日きょうびおもてで働く女子おなごも多いんだから、夜は貴重な親子の団欒の時間じゃねえか。それすら奪っちまうなんて、そんなもん、子供の為もへったくれも無え。
 もう、そんな子供の為にならねえ大奥(PTA)なら、いっそ組織ごとやめちまえば良い」

「確かに。先生の仰る通り、うちみたいな長屋の大家族なら、子供らは誰かしらに預けてこうして夜出歩く事も出来るけれど、一人手ひとりで(ワンオペ)でお子を育てている皆さんは、預け先も無くて難儀な事だよ。奥行事おくぎょうじ(PTA行事)のお手伝いの時だって大変だ」
 とおりんさんが仰いました。

「そうさ、子供ってのは元々自分で育つ力が有るし、幼いうちは先ず安全が第一、あと親の愛情と目配りさえありゃあ、すくすく育つってもんだ。家族の団欒の貴重な時間を奪ってまで、何の為の奥行事おくぎょうじ(PTA行事)だ。そんなものやらなくったって、親は子供が怪我しねえように身の安全と、腹をくださねえように衛生に気を付けて、見守ってやるだけで充分なのさ。それだけだって決して容易なことじゃあえけどな」
 赤鬼あかおに先生はこのように、稚児医者ちごいしゃ(小児科医)としてのご自身の持論をお話しになりました。

 行灯あんどんの灯りが、横たわっている安子様の青白い頬を照らし出し、一同不安な面持ちのまま、しばしの沈黙が続きました。

 確かに、父の言う事は正論かも知れない、しかし、と常磐井ときわい様は重苦しい沈黙のなかでこう考えました。

 理不尽極まりない大奥(PTA)を変える、もしくは無くすと言う事は、もしかしたら正しい事なのかも知れないけれども、一旦きばを剥き出し、歯向かって来る人間だと思われたなら、愛して止まない我が子にこの先、どのような災いが降りかかるか知れない。それが分かっていて、たった数年の辛抱と思ってやり過ごす以上のことを言い出す勇気のある御母御おははごが、実際どれだけ居るものだろうか。

 父は稚児医者ちごいしゃ(小児科医)として、これまで沢山のおさの命と向き合って来ては居られるが、基本、家の事や子育ての事は私の亡き母に任せ切りで有ったので、実際にはあの大奥(PTA)に足を踏み入れた事は無く、あの恐ろしい同調圧力の魔物の姿を目にされた事が無いのだから、本当の所はお分かりにはならないのだろう、常磐井ときわい様はそうお思いになったので御座います。

 その時、
「あ、これは。何ですか?」
 生来が明るい御性分で有られるおりんさんは、こうした重苦しい空気にはどうしても慣れず、何か風穴かざあなを開けようと思われたのか、診察室の薬棚の上に有る一つの愛らしい置物を指差し、こうお尋ねになりました。

 おりんさんが薬棚くすりだなの上に見つけた置物は、親子の「すすきみみずく」で御座いました。すすきを柔らかく折り返して丸い形を作り、竹で出来たくちばし、きびがらで作られた白黒のきょろりとしたお目々と、兎のようにぴんと張った赤い経来きょうぎで出来たお耳を付け、大きな親木兎おやみみずくのふわふわの羽の中に包まれる様に、二羽の小さな子供の木兎みみずくが両の脇にそれぞれちょこんと収まっている、そんな心和む愛らしい玩具なので御座います。

「可愛らしいでしょう? これはこの人が、お正月のお参りに行った時、あそこに貼ってある麻疹絵ましんえと一緒に買ったのですよ。なんでも、すすきみみずくのお耳の赤い色は魔除けになるとか仰って」

 常磐井ときわい様は父親の赤鬼あかおに先生に目配せしてこう仰ると、前に花子様が青梅を誤食なさってこの医院に見えた時に安子様がご覧になって居た、赤いさるほぼ人形と、多羅葉たらようの葉ときねが描かれた魔除けの麻疹絵ましんえの貼ってある壁の方を右手でお示しになられました。

「この人、こう見えて案外可愛いらしいもの好きで、神頼みなところが有るから」
 常磐井ときわい様が冗談めかしてこう仰ると、赤鬼あかおに先生は咳払いをして、
「んおほん! この木兎みみずくは子供らが治療の時泣かないようにあやす為に買っただけだ。お慶、余計なお喋りは良いから、さっさと患者さんの脈を取りなさい」
 少し決まり悪そうに顔を赤くして、こう常磐井ときわい様をたしなめなさいました。

<祈り>

 行灯あんどんの薄暗い灯りに、安子様の青白磁せいはくじ色の頬が映し出され、眠っていらっしゃるお体に被せられた布団は、ここのつきの腹部が大きく迫り出しておられました。

 このようなおいたわしい安子様のお姿をご覧になると、おりんさんはご自分が身重みおもでいらっしゃった時のことなども諸々もろもろ思い返し、どうかどうかご無事でと、居ても立っても居られないお気持ちで、魔除けのご利益りやくがあると言う麻疹絵ましんえと親子のすすきみみずくに、ただただ無心でお手を合わせて祈られました。

 その様子をご覧になった太郎君たろうぎみは、ご自分のせいでお母様に無理を掛けさせてしまったからと言う強い自責の念と、愛して止まないお母様、そしてそのお腹に宿っているご自分の妹か弟の御無事をその小さいりょうてのひらに託し、つむったまぶたきわから涙を滲ませながら、祈るより他有りませんでした。

 常磐井ときわい様も、おりんさんや太郎君たろうぎみと同じ気持ちで御座いましたが、ご自身は看病中間かんびょうちゅうげん(看護師)でいらっしゃいましたから努めて冷静に、脈をお測りになろうと、爪からも色の抜けたかぼそく青白い安子様の左手を取られました。

 その時に御座います。赤鬼あかおに先生が何か患者のご容体ようだいの変化にお気付きになり、こめかみをぴくりと動かされたので御座います。

#創作大賞2024 #ホラー小説部門


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?