【キリスト教半生の始まり】ある日突然「今日、礼拝に行こう」と言われて。

1.生まれはいわゆる「葬式仏教」の家系でした

私は伝統キリスト教2世として、noteやTwitterにあれこれ書いてきましたが、生まれた時からそうだったわけではありません。

元々は、父方母方ともいわゆる葬式仏教です。母方祖母は信心深くてよく仏壇に手を合わせていました。
ただ父方母方とも、お墓のあるお寺の住職さんの振る舞いには疑問を感じている…宗教的背景は、そんな感じでした。

2.ある日突然教会へ-説明もなく、異世界に放り込まれる

ただ小学時代のある日曜日、突然母から、「ちくわ、礼拝に行こう」と言われました。
「礼拝(私のいた宗派の呼び方がありますが、ぼかしています)って何?」というのが正直な感想でしたが、私は言われるままついていきました。

父は留守番をしていましたが、今考えると何を思っていたんでしょうね…。

母に連れられていくと、洋風の建物があって、十字架があって…きれいだなと思いました。

そして私はよく分からないまま、「◯◯先生」(教えを教えてくれる専門家)に引き渡されて、母は礼拝へ行くのでした。

私は初めて会う小学生たちに混じって話を聞きました。そして私以外の子どもたちは洗礼を受けているので途中から礼拝に合流し、私だけは残って先生とお勉強です。

自分が何をしているのかもわからなかったけど、要は私一人で洗礼を受ける準備をしていたようなのです。

(子どもでもある程度大きくなると、洗礼を受けるまえに、ある程度の勉強が必要らしいです。
 一応その後、洗礼を受けたいかどうかの確認はされましたが、正直あまりよく分かっていませんでした…)

3.すでにどこか抜け殻のようだった私

説明もなくいきなり異世界に放り込まれて、我ながらよく何の疑問を持たなかったなと思います。

要は、ボーッとしてその場にいました。

私はのちに宗教虐待にも苦しむことになりますが、元々母親から激しい暴力を受けて育ってきました。
この時期にはもう、どこか「自分の意思」や「好き嫌い」を放棄して生きていたから、ある意味すんなり適応できたのだと思います。


次の記事では、私が初めて接した教会の教えや教会の習慣に対してどう思ったのかを書いていきます。
今日の記事は短いですが、この辺りで失礼いたします。

【補足】礼拝中、子どもたちはどう過ごしていたか

このnoteでも、私は自分のいた宗派については傷ついたこと、苦しかったことを中心に書いていくことになります。
ただ記事の中で、この宗派の良いところを挙げるとしたら「長い礼拝は子どもには苦痛だろう」という理解があったことです。

教会には、礼拝を行う部屋以外に、礼拝中小さい子が泣いても大丈夫なお部屋がありました。
そして、そのお部屋に行く年齢でなくなったあとも、礼拝の最初の時間は「日曜学校」といってお勉強の時間に充てられていました。
なんやかんや、バランス感覚には優れた宗派でだったとは今でも思っています。

私がこれから書いていく記事については「そんなところでも色々起こるのね…」くらいにご理解いただければ、ありがたく思います。




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