高校の先生がエホバの証人について語ったこと
私は伝統的キリスト教の宗教2世ですが、急に思い出したことがあったので書き留めることにしました。私が高校で一番印象に残っている先生は、「倫理」を教えていました。
「倫理」昔の人たちの語った哲学や、宗教、心理的な話…と、かなり幅広いことを扱う科目でした。
私は宗教2世の端くれとして、
「先生、キリスト教のこと、どんなふうに話すんだろう」と興味がありました。肯定的に話すのか、絵空事だと話すのか…。
ただ、この先生が処女懐胎なんて嘘だと決めつけたら、(当時信じていた)私は悲しいだろうなとは思っていました。
先生は授業の内容が、処女懐胎の話になったときに、
「ヨゼフはねえ、びっくりしたと思うよ。婚前交渉なんてありえない時代だからね」
と説明しました。
私はその日から、先生を尊敬するようになりました。でもそれは、キリスト教の教えを否定しなかったからではありません。
いろんな立場の人たちを尊重しながらバランスよく話せる大人は格好いい!そう思ったのです。
先生はどういうわけか、エホバの証人のことを話し出しました。
(エホバの証人をめぐる国内での裁判の話は、政経の科目で出てきたはずなんですよね…)
「エホバの証人って、輸血拒否の問題があるんだよね。確かに聖書には、血を食べてはいけないって書いてある。
ユダヤ教でも厳格に守っている人は守っていてね、肉を食べるときにもしっかり血を抜いて、カチカチに固い肉を食べるんだ。
でも彼らも輸血はするんだよ」
当時の私は「血を食べるな」という言葉が聖書にあることも知りませんでした…。
私にとっては単純に、教会で散々聞いてきた、
「(エホバの証人、モルモン教、統一教会などによって)キリストは歪められた」とか、
「エホバと一緒にされて、私たちは本当に迷惑!」
という言葉たちとは全くちがう「語り方」を聞いたことが新鮮でした。
その先生の授業はこれ以外に面白いものばかりでしたが、私が先生は一番学んだのは(できているかは別として)「他者の尊厳を痛めつけない語り」だったのだと思います。
そして、いい年になった自分が先生のこの語りを思い出すとき、
「先生はもしかしたら、高校にいるかもしれないエホバの証人2世に語りかけたんじゃないか」
「輸血は神の教えに背くものじゃないから、生死の選択をせまられたときに輸血することを怖がらないで欲しいと言いたかったのではないか」
と考えてしまうのです。
話も輸血禁止の教えに絞られていたし、エホバの証人の教えが原因で、誰かに死んでほしくなかったんじゃないかと…。
今の私は、あの先生がなぜ、あの語りをするようになったのか興味があります。今の私は地元とは完全に縁を切っていますし、大学以降落ちこぼれた私は、あの高校の空間に居場所なんてありません。
時々、それを寂しく思います…。
時々伝統的キリスト教のクリスチャンや牧師さんたちがやる、
「あの人たちは本当の神様を知らなくて哀れだから、こちらの本当の神様を教えてあげよう」
というのははっきり言って、
「露骨な脅しから、マイルドな脅しに移行するだけ」の話なんですよね。
(私もキリスト教から離れるとき、自分の教派で義務付けられていた聖職者への罪の告白をやめてしまうことが怖かったです)
だからこそ、やっぱりあの先生すごい!!と思うのです。
もしも、あの教室にエホバの証人2世の生徒がいれば、先生の語りで自分の生死への不安や、裁きへの恐怖が和らいだと思うのです。
先生のことばが、当時苦しんでいた2世に少しでも多く届いていればいいな。今になって願っています。