合わない宗教を押し付けることと、体質に合わない食べ物をとらせること


1.キリスト教で苦しんだ人間に、その正しさを強調する人たちのこと…

私がnoteやX(Twitter)で伝統キリスト教2世としての経験を綴っていると、熱心なクリスチャンからもコメントをいただくことがあります。

「大変な経験をされましたね」と労わってはくださるのですが、そのあとは、

「本当のキリスト教は…」
「あなたの経験は少数派で…」
「聖書は正しいのですが、人が解釈を歪めるのです」

と、ことばが続きます。

(一度、カルト信者のくせにクリスチャンを名乗ってると言いがかりをつけられたことはありますが、ブロックしました。
私、忙しいので。←noteをよく更新してる時点で、説得力ないけれど笑)

ああ、結局自分の正しさを主張したいだけなんだなと。私の経験が例外だろうが少数派だろうが、私にとっては経験した時点で100%なんですよね…。

私は自分の経験を文章にできる程度には、回復しています。それでも傷ついた人間に対して自分たちの正しさを主張するのは、傷口に塩を塗り込める行為だと知っていただきたいです。

そもそも「本当のキリスト教」って何でしょうね。宗教虐待しまくっていた私の母親もよくそう言っていました…。
何より、カルト化教会やキリスト教系カルトも自分たちを「本当のキリスト教」と名乗っていますよね。

私がキリスト教を受け入れられないのは、たとえソフトな物腰であっても「隠しきれない正しさの押し付け」を感じるからだと思います。これに充てられるとどうしても、うう、と胸焼けしたような気持ちになります。

(とはいえSNSでは、そうじゃないクリスチャンもいることを知りました。ありがたくお付き合いさせていただいています)


2.キリスト教(クリスチャン)の「強すぎる正しさ」は、私には合わない…

私はザ・宗教としてのキリスト教から離れたあとも、キリスト教系のボランティアと関わっていた時期がありました。

当時の私はキリスト教から完全に離れるのは良くないことだと思っていました。ただ教会に集まるのは好きじゃないけど、誰かの役に立つことなら良いと思えるかもしれないなと…。

実際、ボランティア先で学んだことは多かったです。でも私が「ああ、しんどいな」と思うポイントは今までの教会での経験と同じでした。
私はキリスト教(クリスチャン)の「強すぎる正しさ」に拒否反応が出てしまう、ということが分かりました。

自分たちの正しさのためなら、他人に失礼なことを言っても平気になってしまう感じ。イエス様の名前を出しながら、結局自分たちの考えで他人を裁いてしまうあの感じ…。私はこれに触れると、どっと疲れて力が抜けてしまうのです。

私はこれがしんどい以上、キリスト教色の強いコミュニティとは関われないんだなと思いました。


3.合わない宗教を押し付けることは、体質に合わない食べ物を無理やり食べさせるのに似てる

そして、「ああこれ、アレルギー反応みたいなものかもな」と思いました。
食べ物ってそれ自体は栄養があっても、体質に合わない人にとっては害になることがありますよね。

宗教も、合う合わないがあるんだと思います。
本人が苦しんでいるのに尚も宗教を押し付けつづけるのは、体質に合わない食べ物を無理やり食べさせ続けることに似ています。

たとえばアレルギーのある人に、その人がアレルギーを起こしてしまう食べ物を食べさせると大変なことになりますよね。

宗教だって、教えや考え方、コミュニティが合わない人に無理やり押し付けつづけたら、病む人がいても不思議ではないと思います。

食べ物は身体のなかに入り込む。
宗教も心のなか、深いところまで入り込む。
食べ物と宗教って、似ているのかもしれませんね。

(宗教が合う合わない以前に、多額の献金で一家を破産に追い込むとか、子どもに凄惨な体罰を加えることを教えているとか、そんな宗教はもちろん論外ですよね…。
ただどんな宗教も、加害と被害を生み出していることを考えると、うーん、なんと言ったら良いのか分からなくなってしまうのです)


あ、でも私、食べるのは大好きです。
トラウマ治療を受けていたときにも、毎日「ごはんが美味しいな」と思える日々を積み重ねていくことが、回復の助けになりました。
そんな話もまたnoteでできたらと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?