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トラウマ治療篇はじめ「治療の数年後に見た、夢のこと」

今年はトラウマ治療の経験について書くと宣言しながら、なかなか文章にまとめられずに来ました。

今朝見た夢を反芻しながら、
「このnoteは、かしこまらずに自然と文章が出てくるところから書いていったほうが、進められるかもしれない」と思いました。
なぜかというと、今朝の夢が「ああ、トラウマからの回復って、こういうことだよな」と教えてくれたからです。


1.母に淡々と言いかえす夢

宗教2世としての経験をnoteで書き終えたあたりから、私は虐待やいじめの「加害者」たちとの夢を見るようになりました。

本当はね、自分をいじめた同級生や、虐待した母、暴力の場面から自分だけ逃げていて父を「加害者」とは言いたくないんです。なぜなら、あの人たちを「加害者」と呼ぶことで、私を「被害者」と呼ばなければいけなくなってしまうから…。

母が思い通りにならない時「一番の被害者はママよ!」と大泣きして、怒鳴り散らしながら暴力を振るっていたのも影響しているかもしれません。

夢の中の私は「彼ら」に対して、堂々と相対しています。卑屈にヘラヘラ笑ったり、謝る必要もないのに謝ったり、正座をして目をギュッとつぶって身を縮こませるようなことはしていませんでした。
「彼ら」はもう私に対しては「無力」なのだと、無意識のところから納得できたのかもしれません。

とくに今朝の夢は「ああ、私の母への見方が本当に変わったんだな」と気づかされたものでした。

夢のなかの母と私は、夢のはじまりから私が目覚めるまで言い合いをしていました。
母は、過去から今に至るまでの落ち度を延々あげつらいながら怒鳴っていました。私が母と交流していた頃と同じです。

過去の現実の私は、母が怖くて言い返せず従ったり、時々「このままではいけない」と言い返すものの母の怒りに飲み込まれたり、母の強引(論理的にはメチャクチャ)な反論に最終的には黙ってしまったり…。

でも夢のなかの私は、母の情緒に巻き込まれることはありませんでした。
「そうだけど、でもこうした事実があったよね」
「確かに私もできなかったことはあったけど、あなた(母)のやったことが正当化されるわけじゃないよね」
私は淡々と思うところを話し、その結果母が納得しなくても、母が攻撃をやめなくても気にしない。

冷静だけど、冷たい調子でもなく、心を開くでも閉じるでもなく、ただ目の前の事態に淡々と対処していました。

夢の中でも、最後まで母と私の話が噛み合うことはありませんでした。それでも、寝覚めの気分はおだやかでした。


2.トラウマ以外の経験を増やせなくするのも、トラウマなのだ…

私は3年ほど、主に母からの虐待からくるトラウマ症状を治療していました。

※治療を始めた当時の症状と、治療につながったきっかけは、こちらの記事に書きました。

母への恐怖感は、トラウマ治療によって消えることはありませんでした。
むしろトラウマ治療を通して、私がどうした被虐待経験をしてきたかがハッキリと分かるようになり、より関わることが耐えられなくなりました。

今も関わることは考えられないのですが、
(私以外の家族が、母という人間や対処を理解しているわけではないからです)
いざというときも、なんとかなるかもしれない。
夢を通して、そんな気持ちになりました。

それはトラウマ治療後に私が経験してきたささやかなあれこれで、静かな自信を身につけることができたからだと思います。

大学時代につながった、大学常駐の精神科の先生からは、
「あなたが苦しんでいる経験以外の経験をたくさんして、苦しかったことの人生での割合を減らしてください」
とアドバイスをいただきました。

でも、それを難しくするのもトラウマなのだということを、私は治療を通して知りました。
自分の中の、トラウマを真正面に受けた自分は本来「しんどいことを引き受けてくれた、頑張ってくれた、かけがえのない一部」です。
でもその「自分の一部」(私が受けたトラウマ治療の一つ「自我状態療法」では「パーツ」と言います)が不具合を起こしてしまうのか、トラウマ症状なんですよね。

トラウマ症状は、解離やフラッシュバックが有名ですよね。でも人生の豊かさを奪っているのは、「感じること」の不具合だと思います。

たとえば危険を感じるセンサーが常に誤作動を起こして、警報が常に頭の中で鳴っている状態。これでは、周りで起きていること、目の前の相手のことを正しく理解することは難しいです。
(治療がある程度進んだあとで、気づきました)

また治療前の私は辛いことが多すぎたために、「感じにくい体質」になっていました。私の意思ではなく、身体全体(主に神経系かな?)が身を守るために「そうなっていた」んです。

そんな私が、治療が進んで驚いたことは些細なことでした。歯磨き前の歯が本当にざらざらして気持ちが悪く、歯磨きすると口の中が本当に爽やかになること。そして、ご飯が本当に美味しいこと。

「感じることの不具合」があると、トラウマを引き起こす環境から離れても、自分の中に人生の豊かさを蓄えていくことが難しいのだ…。
トラウマ治療を受けて数年経った私は思います。


3.トラウマ治療ですべて解決するわけではないけれど…

トラウマ治療をしても、完全にトラウマがない状態の自分になるわけではありません。
トラウマがなかったら送れていたかもしれない人生を取り戻せるわけでもありません。治療中に、これから取り返せないものもあると気づいて絶望したこともあります。

でもね(今の私は虐待サバイバーのなかでは、恵まれた環境にいるとはいえ)、生きていく中で感じられる「豊かさ」を受け取ることができるようになります。
そうして少しずつ受け取って、小さな自信を積み上げていくことができる。これが治療後の回復なのかなと思います。

トラウマ治療があってたどり着くことができた、今朝の夢だったのかな。
そんなことを考えました。

今後トラウマ治療関連の記事は、書きやすいところから書いていく流れになると思います。
少しでもお役に立つことがあれば、ありがたいですが、お付き合いいただけると嬉しいです。

改めて、よろしくお願いいたします。


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