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トラウマ症状自体は"不適応"だけど、反応としては"正常"なんだ。

トラウマ治療、なかなか本題に入れず申し訳ないです…。私がトラウマ治療についてnoteに書いたり、X(Twitter)でつぶやくと、Xでそうした投稿が目に入るようになりました。

他の方の投稿を通して考えさせられたり、ああこのこと書きたいなと思うことが出てきたり…なのです。

今日は、今の私が「トラウマ症状」をどう捉えているのかを書こうと思います。

1.「症状も生き延びるためには必要だった」と気づくまで…

私はトラウマ治療を始めるまえの数年間、そして始めてから2年くらいまでは、
「私の症状(うつ症状や解離、フラッシュバック、ストレスで吐き気がひどくなったり、日々隠しきれずにいる激しい怒り)は完全になくさないといけない」
と思っていました。

症状は私の敵であり、私は私自身に足を引っ張られて生きているんじゃないかと苦しんできました。また、私が弱い人間だからこんな風に考えてしまうんじゃないかと、自分を責めたりもしていました。

(「自分に自分の足を引っ張られているような感覚」は、治療で解離症状が落ち着くとともに、なくなっていきました。)


でも治療を2年くらい続けてきたときに、
「こうした症状も、私が生き延びるためには必要なものだったんだ」
と考えるようになりました。

(おそらく解離症状を改善するために取り組んでいたであろう)自我状態療法の影響も大きかったです。

自我状態療法では、「私」という人間にはいくつかの「自我状態」もしくは「パーツ」が複数いると考えられていて、
(私は「小さなパーツ」ととらえています)
「私」(ふだん前面に出ているパーツ)や心理士と、そのパーツ一人一人とが対話を重ねていきます。
(本当はそれだけではないけど、端折ります…)

それぞれの自我状態は、最初すごく怒っていたり、私を激しくののしっていたり、母からこう言うであろう私への批判をチクチク言いづけたりしていました。

でも対話を重ねていくと、一つ一つのパーツは本当にけなげだったことに気づきました。みんな、人生の時間を進めていく(停滞ばかりだったけど)には抱えきれないものを引き受けてくれていました。

「ああ、どの自我状態も生き抜くためには必要だったんだ」と気づいたとき、症状もこれと同じなのではないかと思いました。

そして、私がどんなに希死念慮でいっぱいだった時も、身体自体は症状を出してでも生きようとしていたんだなと…。それなら生きたいという身体の意思を聴くことにしよう。
そんな風に考えることもできるようになりました。

症状を抱えながら、一般社会で生きていくのはかなりきついです。
でも自分の育った環境から「症状」が生まれてくるのは、「生き物の反応」としては正常なのではないかと考えるようになりました
そのときから「症状」や「解離を起こしていた自我状態」は、敵から「かけがえのない仲間」になりました。


2.症状は「やっつける」から「付き合う」へ

そして、今の私はフラッシュバックや正体不明の激しい怒りが起こってくることはほとんどなくなりました。
時々ニュースなどがきっかけで、解離っぽい状態になることはありますが、自分で対処できるようになりました。

ただ自律神経の弱さは残っているのを感じます。体調も天気にも左右されやすいです。
その辺りは、薬の助けを借りています。

薬を完全0にして生きていくことが、「治る」ことだと思ってきますが、薬の助けを借りれるように心を楽にすることも、一つの「回復」の形なのかなと思います。

(トラウマ治療のことを知ってもらいたいとは私も思っています。
でもトラウマ治療で、すべての不調が解消するみたいな話も危険だと思っています。
治療が終わっても、良いときの自分、悪いときの自分に付き合っていく日々は続くからです。)

これも症状が、治療を通して付き合える程度に落ち着いたこと。また私が症状を敵視しなくなったことが大きいです。

そして今の私が、昔の私に声をかけたいことがあります。
症状が出ることは「正常」だよ。
つまりあなたは正常。自信をもって。


今、症状に苦しむ自分を責めてしまう当事者にも届くといいな。

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