教会で挙式したあとも、しんどさは続き…

伝統キリスト教2世として育ち、ほぼ無宗教の夫と結婚した私。

幼少期から暴力暴言などの虐待を受けてきた母からの、暴言の数々。そして司祭からのパワハラを大量に浴びながら、私は教会での結婚式を「乗り越え」ました。

※クリスチャンでない夫と結婚するにあたっての、母からの暴言
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※結婚式を教会で挙げるにあたって私が受けた、聖職者からの暴言
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よく耐え抜いた、私…。
支えてくれてありがとう、夫と義両親…。
私がこれらに耐え切ったのは、結婚式を母親(キリスト教1世)に譲ることで、自分の人生を取り戻すんだと決めていたからです。

駆けつけてくれた友人たちや、披露宴を良いものにしようとしてくださった担当のプランナーさんやスタッフさんには、今でも感謝しています。
「商業的にやっている結婚式は偽物」と、よく教会で言われていましたが、それは違うと私の経験から思います。

とはいえ私には、まだやらねばならないことが残っていました。

(ここから書くことは、色々ありすぎてキリスト教や教会コミュニティ、聖職者たちの疑問でいっぱいの人間の視点です。
教会生活が幸せという方にとっては、相入れないことを書くと思います…。)


1.夫を連れて、所属教会で結婚の挨拶をせねばならぬ…

挙式を終えるとすぐ、母が言うのです。

「Aさんのお嬢さんが教会で結婚式あげたでしょ?ちゃんと教会の人たちに配るお菓子をもって、ご主人と挨拶に来たわよ。やりなさい」

「教会で挙式して、知らんぷりなんて許されないよ。神父様が許可してくださらなかったら、結婚できなかったんだから」

私は正直「許可してくださった」などと感謝する気持ちにはなりませんでした。

それどころか、私は教会で結婚式を挙げたばかりに、一般の結婚式場で挙式していれば味わわなくて済んだ経験をしました。

いわゆる商業的な結婚式場で、担当プランナーさんや司式してくださる方が、お客さんに延々暴言吐いて自分たちの権威を振りかざすなんてありえない。

ただこの頃は、私もまだ精神的には母の支配下にあり、母とは仲良くやっていきたいと思っていました。そのため夫に頼み込んで、教会での挨拶をすることにしました。

夫は母の性格をある程度知っていたので、「ちくわちゃんが、お母さんから酷い目に遭わないために」と、教会での挨拶を承諾してくれました。

夫と2人で礼拝に出て、礼拝後に挨拶をして広間で教会の人たちと会話をして。
教会の人たちのなかには、私がメンタルを壊しても変わらず親切に接してくださった方もいたので、その方たちに結婚の報告ができるのは嬉しかったです。
(実際にはメンタルを壊したことで、教会内で責められるなど嫌な思いをすることも多かったけど)

単純に、おめでとうと言っていただけるのは嬉しいしね…。

ただね、教会って「信者至上主義」みたいな価値観の人ががいるのも事実です。夫が挨拶で「僕はクリスチャンではありませんが…」と説明したにも関わらず、私に、
「(私の結婚相手は)信者さんなんでしょ?」
と言ったり、夫相手に、
「いつ洗礼受けるの?」
と前のめりに聞いてくる人もいました。

当然、夫はドン引きです。
私も以下同文。ここまで色々ありすぎたので、教会コミュニティを擁護する気持ちは湧いてきませんでした。こういう人もいるのが教会だよね、というのは事実だし。


2.「結婚して世帯分かれたよね。これからは教会維持費ちょうだいね」

所属教会での結婚の挨拶以外に、母からしつこく言われたのは、結婚後の所属教会を決めることと、今後の教会維持費の支払いについてでした。

2-1.結婚後の所属教会を決めろと言われつづけ…

結婚後の所属教会については、結婚式の手続きを所属教会の司祭にお願いしたときも、司祭から何度も聞かれていました。

「何にも決めてないのに、結婚するんですか?」
と呆れたように言われながら…。

褒められたことではないのは重々承知ですが、私は結婚前も結婚後も、「まだ決めていません」と返答しつづけました。

私は信仰そのものはまだ結論を出していなかったものの、教会コミュニティに縛られるのは、もう耐えられないと思っていました。
ここで次の所属教会を決めてしまったら、引っ越し先の教会の司祭に挨拶せざるをえなくなって、実家を離れても、教会のしがらみが続くことになるなと…。

私は結婚式という、多くの人が夢を詰め込むであろう場を母に譲りました。これ以上、母や教会に自分の人生を譲ることは耐えられなかったのです。

疑いなく教会コミュニティや司祭を「善きもの」と受け入れている人たちには理解できないのでしょうが、私も消耗しきっていました。


2-2.母から教会維持費の支払いを求められる

そして、結婚後の所属教会を決めることとセットで求められたのが、教会維持費を毎月支払うことです。結婚したことで、母とは世帯が別になったのだから支払いなさいという理屈でした。

理屈としてはそうだろうと思います。
ただ私が嫌だったのは、お金の話を挙式後になってからしてきたことです。

私の宗派の教会で結婚式を挙げるときには、挙式前に「結婚講座」といって司祭から、キリスト教の教えや結婚について学ぶことが義務づけられています。

そのときに結婚後の金銭的負担について話していただいても良かったはずなのです。司祭たちの側からしたら「当たり前」なのかもしれないけど、事前にお金の話をしない姿勢は不誠実だと思いました。

だって私の宗派、「教会で挙式をしない結婚は、正式な結婚ではないから姦淫の罪だ」とか教えてるところなんですよ。いくら教会に疑問をもっていても、信仰心がかけらでも残っている人間には、立派な脅しの言葉です。
それが式が終わった途端、お金の話かあ…という。

母からは、
「ママが今の教会で、ちくわの分も払うことになるのよ。それで良いの?」

と咎められましたが、私は何も言わず、母のことを見ることもしませんでした。

何よりも単純に、私は一旦教会との具体的はつながりをゼロにしたかったです。毎月支払う義務がある限り、教会コミュニティとの関わりは続くからです。
私は教会に対して、ただただ疲れて虚しくて、うんざりしていました。

今日の話はこれまでの話以上に、教会関係者と私との間で噛み合うことはないと思います。私はただ、当時の気持ちを正直に書いただけなのです…。


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