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洋子😆8

そんな姉が 藁にもすがる思いで…見付けてきた治療がありまして…
母親が昔 通っていた、ワクチンなんですが…自分の尿を取り、その成分をワクチンにして打つと言うもの。
母親は 確かに効くのだが、なんせ高くて 続けられないと…言っていた。
それも試したのだが…やはり 高くて 何回か行って挫折した。
その後、クリニックで、血を循環させて??何時間かかけて やる治療。免疫治療って言うのかなー…
そこも とてつもなく高かったような気がしますが…電車に揺られ、2時間かけて東京まで通いました。
電車の中 立ってられないのですが、姉は気丈なので、頑張って立ってました。 当時は 私にも勇気がなくて、すいません、この人は病気なので 席 譲って貰えませんか??なんて言い出せなかった。逆に 言われた本人も気まずくて 座ってられないと思った…
でも、ステージIVで あちこち痛くて…2時間電車で立ってるのは 今思えば ほんとに残酷な話。
隣で支えながら 行ったのを覚えてます。帰りは遅くなるので だいぶ座ることも出来たのですが。
そして 通う途中で、駅で 立ち食いそばを 2人で 懐かしいねーーって言いながら 食べた事…一生忘れません☺️
昔に母親とその治療に通ってた時も 母親と姉と私で 立ち食いそばを 食べてたからでしょう…懐かしい!
帰りに姉は 必ず フランスパンを買って帰る。自分も子供たちも好きだから…と言ってました☺️

そのうち、姉は歩けなくなって 車椅子生活になりました。
そして、出血、大、自分の意志とは関係なく 漏れてしまう。オムツもパンツも 専用の物が中々見付からなくて…それでも、買い物に行きたいと言う。押してる途中、臭いが漏れてしまうのだが、そこは 臭いとは言えず…何となく 帰ろう…と促して帰ってくるようにしてました。

緩和ケアしてくれる病院に 入院したことも ありました。
自分が仕事休みの時は なるべく 行きました。姉は とても喜んでくれて…ここの病院、海が見えるんだよーって見せてくれました。
帰る時には 上の階から 窓越しに いつも手を振ってくれました…その姿は10年経った今でも 忘れてません。

そーそー、同じ頃に入院していた同年代の友達が出来たそうなんですが、その子が 私を見て 凄く褒めてくれてたそうです。姉は それが 嬉しくもあり、悲しくもあったそうです。
私も こんなに髪の毛が抜けてなかったら…あんたより 可愛いのに…
あんたは勝ち組だよ…って 言われたことがありました。
自分は いつも 負け組だったのか?!姉の中で?!😌💦
オイオイ💦

私の中では いつでも 姉、洋子は勝ち組だよ!と思いつつ…😅

そして、年末に近付いて行くにつれて 姉は どんどん痩せてゆき…
病院から、家で治療するか、別の病院でケアしてもらうか 決めてくれ…と言われ、家で寝てようと決めた。
姉は 子供たちのいる自宅にもどってきたのであった!
子供たちも 喜んだに違いない。
私も できる限り 姉の所には 通いたいと思っていた。
しかし…毎日 通う時、車の中 涙が止まらないのだ。悲しくて悲しくて 寂しくて寂しくて。
姉の顔を見ると 号泣しそうになる。
姉は まだ 生きたぃと言う…口を開く度に なんて言って励ましたらいいのか 分からなくて言葉に詰まってしまうのだ。
私は 仕事にかこつけて 1ヶ月程 行けなかった。姉のとこへ…😭

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