戦後1
半藤一利氏著「昭和史 戦後篇」からの抜粋です。
この国はすでに「新しい戦前」に至ったようです。戦後「新憲法」によって「平和国家」を目指してきたはずのこの国が、なぜいま「新しい戦前」を迎えているのか?
その問いに対する答えがこの名著にあると思います。
文字数の制限もありますので、必要と考えられる箇所を数回に分けて抜粋記述していきます。
昭和20年8月15日昼の天皇放送によって、太平洋戦争という悲惨な歴史が一応、終わりました。
8月17日、天皇陛下命令として日本陸海軍に対して武器を置け、これ以上抵抗するべからず、と武装解除の命令が出ました。
それが実行されるのに反乱らしい反乱はほんのわずかしかなく、命令を受け賜って、日本の軍隊はどんどん解散していきました。
内務省が中心となり、連合軍の本土進駐を迎えるにあたって18日に打ち出した策に出ています。戦時、「負けたら日本女子はすべてアメリカ人の妾になるんだ。覚悟しておけ」と盛んにいわれた悪宣伝を日本のトップが本気にしていたのか、いわゆる「良家の子女」たちになにごとが起こるかわからないというので、その"防波堤"として、迎えた進駐軍にサービスするための「特殊慰安施設」をつくろうということになりました。そして早速、特殊慰安施設協会がつくられ、すぐ「慰安婦募集」です。いいですか、終戦の3日後ですよ。
結果、慰安施設は27日には大森で開業しています。占領軍の第一陣が本土に上陸してくるのはその日ですから、といっても少人数で、彼らがやって来た時にはちゃんと受け入れ態勢が整って1360人の慰安婦がそろっていたと記録に残っています。
それまで燈火管制で電燈や窓に黒い幕をつけていたのを、戦争が終わっても率先して取り去る人がなぜかなくて、暗かったんです。そうするうちに指令がきました。記録を見ますと、鈴木貫太郎内閣が8月15日に総辞職したあとを受けた東久邇宮稔彦内閣に、昭和天皇が「「国民生活を明るくするためにももういいかげん遮蔽幕を取れ」と命じたようで、8月20日、じつに3年8ヶ月ぶりに屋外燈がともり、遮幕もすべて取られ、まちがパーッと明るくなりました。
ちょうどその頃、すでに引退していた石原莞爾が、新聞記者のインタビューに応じて「これからの日本はかくあるべし」について言っています。親父がこれを読んで「軍人さんの中にもこういう偉い人もいるんだな」とずいぶん感心していたのをよく覚えているんですが、残念ながら、石原莞爾が満州事変の張本人で、日本の国をこういうふうにした最大の責任者であることを親父は存じてなかったようですね。
どういう内容か言いますと、「戦に負けた以上はキッパリと潔く軍をして優秀の美をなさしめて、軍備を撤廃した上、今度は世界の輿論に、吾こそ平和の先進国である位の誇りを以って対したい。・・・」
さて、いよいよ連合軍つまりアメリカ軍の先遣隊が日本にやってきます。・・・その直前になって、これまた日本人的だと思うのですが、先ほど申しました「男は奴隷に、女は妾になる」だのいう噂を払拭するために、政府は「進駐軍を迎える国民の心得」なるものを配布したんです。敗戦日本人の心がどんなものであったかうかがえます。
「1 連合軍の進駐は一切我が国政府と折衝の結果平和的になされているので、暴行略奪等はなきものと信ぜられるから、国民は平常通り安心して生活されたし。2 進駐軍に対しては個人的接触は務めて避けること。3 特に女子は日本婦人としての自覚をもって外国人に隙を見せてはならぬ。4 婦女子はふしだらな服装、特に人前で胸をあらわにしたりすることは絶対禁物である。(以下略)」
こういうことを政府は国民に布告したんですが、そんなのは関係ないんで、女子の中には「日本婦人としての自覚をもって」どんどんアメリカ兵にすり寄る者が現れて、のちの「パンパン」登場となったわけです。
そしてアメリカの第一陣が上陸した日、28日、東久邇宮首相が記者会見をして、有名な「一億総懺悔」という言葉を言ったのです。戦争の敗因を問われて答えたものです。
「・・・事ここに至ったのは、もちろん政府の政策がよくなかったからであるが、また国民の道義のすたれたのもこの原因の一つである。この際私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う。一億総懺悔をすることがわが国再建の第一歩であり、国内団結の第一歩と信ずる」
・・・さらに続きがあります。
「今日においてもなお現実の前に眼を覆い、当面を糊塗して自らを慰めんとする如き、また激情にかられし事端を多くするが如きことは、とうてい国運の恢弘(立て直す)を期する所以ではありません。一言一行ことごとく、天皇に絶対帰一し奉り、いやしくも過たざることこそ臣子の本分であります」
いいですか、戦争に負けて半年もたってもまだ「天皇に絶対帰一し奉り」だとか、「臣子」だなんて言っているんですから、時代遅れも甚だしいうえ、国民を全然信用していないと言いますか、政府の言う通り動くものと見ていることことがよくわかります。だからこそ、「一億総懺悔」などと言う言葉が出てくるのです。国民にいったいどれほどの責任があったのか、戦争を始めてから負けるまで、国民に大責任などなかったと思いますよ。本気になって一所懸命戦ったのは事実ですが、自分たちから米英に拳固を振り上げた人は一人もいないはずです。あくまで政府と軍部とマスコミの指導によると言っていいと思うのです。
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この後は次回に。
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