戦後5

そういう日本に対して、アメリカを中心とする連合国、まあほとんどアメリカといっていいのですが、GHQ連合国総司令部は次から次へと指令を出してきます。ポツダム宣言にある通り、占領政策を実行してきたわけで、日本はそれを守らざるを得ないのですが、ただここで注意しておけなければならないのは、ドイツと違って日本は政府が残っていたことです。どういうことかというと、天皇の官僚ーいまや公僕なんて精神は失われましたが、そういわれていた官僚がそのまま残ったということです。逆にみれば、これが残ったから戦後日本は生き延びられたとも言えるのですが、それが後に大問題にもなるのです。まあ、いずれにしろGHQは、この優秀だからと残した日本の官僚に対して占領政策を次々と押し付けてきました。…
 9月2日、陸海空軍解体指令ーこれは占領軍の最大の目的で、日本の軍隊を完全になくそうとして、降伏文書に調印すると同時に指令を発しました。
 9月11日、主要戦犯容疑者39人の逮捕。これもポツダム宣言に、戦争犯罪人を裁判のかけるということが書かれています。
     …
   9月19日、日本プレス・コードに関する覚書
  22日、軍国主義的・超国家主義的教育を禁止命令、いわゆる皇国史観はもう一切ダメということです。
  24日、新聞界の政府からの分離指令
 …

 ・・・という具合に矢継ぎ早に、これ以外にも細かいものを挙げればきりがないほどの命令が政府各省に次々と出されました。
 その細かいものを少しあげますと、…
9月22日、各映画会社に、殺人や裏切りといったものを大衆の面前で公然と見せつけるのは非常によくないことだ、「今後、封建的な意識や復讐などをテーマにした作品は作ってはいかん」との指示がありました。とりわけ、日本人がアメリカに対して「このヤロー、今に見ていろ」なんて思っていると向こうさんが感じたわけかどうか知りませんが、「復讐」という言葉を重視しまして、「法律を無視して私的な復讐が許されるべきではない」というわけで、これがいわゆる「チャンバラ禁止令」ですね。ですから「忠臣蔵」などはもっともけしからん、他にも仇討ちの映画はすべてダメになりました。黒澤明さんの「姿三四郎」もダメ、これは柔道映画だからです。そう、学校から剣道と柔道も追放されました。
 映画ばかりではなく、いまになると笑うしかない話もあります。御伽噺の桃太郎もダメ、戦いを正当化するから、猿蟹合戦も報復を正当化するからアカン。といった次第なんですね。…
 このようにアメリカは、基本的な大きな事に命令を出してくると同時に、いちいち細かい事についても指示し、日本人に軍国主義や国家主義的の気配すらこれっぽちも残らないよう、徹底的排除の方針を迫ってきたのです。
 これをまた日本人は、反抗もせずに唯々諾々として受け入れていたんですね。そういう意味でアメリカの占領政策は、やったアメリカ人も驚くほど、従順にしかも忠実にきちんと実行されていきました。彼らにしてみれば、日本人というのは実に秩序だった、規則違反をしない真面目な国民に見えたでしょうし、日本の占領政策ほど成功したものはない、というが今でもあるはずです。だから今回のイラクに対しても、自分たちの思う通りうまくやってみせると考えていたかもしれません。ところが日本人とイラク人は違うんです。宗教の問題もありますが、アメリカはいま、とんでもない大間違いをしているのではいでしょうか。

 さて、これまで挙げた占領政策の中から一つ二つ詳しく申しますと、まず財閥解体です。
 これは、終戦後、農地改革、労働改革と並んでGHQが日本に対してやった三つの大きな経済的改革のうちの一つです。この財閥解体命令で、それまで完全に日本の経済を支配していた三井、三菱、住友、安田の四大財閥TO、それ以外に小さな財閥を含めて83の会社が解体の指令を受け、それらが持っていた株が一斉に売りに出されました。
 GHQの主張とは、「日本の産業は、日本政府によって支持され支持強化された少数の財閥の支配下にあった。産業支配権の集中は、・・・独立の企業者の創業を妨害し、日本における中産階級の勃興を妨げた」ということです。だから日本をこのままにしておいては、新しい仕事をしようとする人が出てこられない、それこそ民主的ではないというわけです。前半の認識はそれほど間違っていないと思いますが、要するに日本政府によって支持され強化された財閥が、同時に軍事主義的な傾向を支える根本にあったのだから、これを全部とっぱらい、かわりに民主的・人道主義的な政策によって、小さな会社でもどんどん起こせて、仕事ができるようにすべきである、それが日本の民主化のため、というんですね。まあ、今はまた旧財閥は旧財閥らしい大会社になっていますし、最近は合併に次ぐ合併で、かっての四大財閥の住友と三井が一緒の銀行になっているんですよね。戦後60年たつと「財閥解体令はいずこ」といった感じですが、当時としては大騒ぎの改革でした。

 次に農地改革です。
 …翌昭和21年10月の第2次改革で、地主の耕地は平均1町歩に、ただし北海道は4町歩にするということで決まりました。そして残りを小作人に安値でどんどん与えたのです。日本の地方経済の根本を変えてしまったこの農地改革は、おそらく政府がやろうとしてもできかなったでしょう。よくぞこの時にやったもので、お陰で日本の農村がどのくらい貧しさから解放さえたか、そしてそれが今日の日本をつくったのです。ところが今は農村で働く人がいなくなったのでこれは今後の大問題であるといえますが。

 さらに労働組合をつくって資本家と対等にさせる労働改革も、たいへんNA改革でした。
 というように、財閥解体、農地改革、労働改革は戦後日本の基本的な改革であったと思います。これが後に、われわれ庶民生活にいい影響をどんどんもたらしてくるわけです。よくぞこんなことをアメリカがいきなり突きつけてきて、よくぞ日本が唯々諾々としてのんだものです。
 ついでに申しますと、教育改革の中に男女共学という、戦後日本をもっとも特徴づけるものがありました。12月4日、当時の篠原内閣が閣議で「女子教育刷新要綱」を決定、今まで女性を差別していたのはけしからんと男女共学がOKとなりました。女性は平和をつくる、とGHQはのたまいまして、それはもうその通りでございますが、以来「靴下となにやらだけが強くなった」という戦後日本ができあがるわけです。

 次に新聞についてです。先の「言論及び新聞の自由に対する覚書」と「プレス・コードに関する覚書」によって俄然、新聞はGHQの検閲下におかれます。人によっては、戦時中の日本政府の取り締まりより、GHQのほうが厳しかったとも言います。そのくらいGHQは、新聞やラジオなどに干渉してきました。いっぽう、戦時中あれほど鐘と太鼓で戦争を煽った新聞が8月15日を境にコロッと変わり「これから日本人は民主主義的に生きねばならない」と説教をはじめたもんですから、当時の日本人は、誰もが「なにかヘンな話だなあ」と思っていたんじゃないでしょうか。その代表的なものとして、作家の高見順さんが、戦争に負けてすぐ、8月19日に書いた日記があります。
「新聞は、今まで新聞の態度に対して、国民にいささかも謝罪するところがない。詫びる一片の記事も掲げない。手の裏を返すような記事をのせながら、態度は依然として訓戒的である。等しく布告的である。政府の御用をつとめている。/敗戦について新聞は責任なしとしているのだろうか。度し難き厚顔無恥。・・・」

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半藤一利氏著「昭和史 戦後篇」からの抜粋です。
この後は次回に。


 

 

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