自分自身を、「わたしはこうだ!」と決めつけすぎない方が楽しいかも。
今月は3連休が2回もある!!
息子がこども園にいた頃は「あああ、大変やん…」とマイナス方向で発していた言葉だけど、小学生になった今は、「うおおおやったーー!!」と喜びの声になる。
学校がなければ、毎朝の大仕事「早起き」&「ぐずぐずの7歳児を登校させる」が発生しないし、宿題などやることさえ終わっていれば、息子の機嫌も比較的良い〜。
何かあって電話が来ることもないし(最近はほぼかかってこないけど、2学期のトラウマがまだ残っている…)、わたしにとっても気が楽なのだ。
もちろん学校が始まれば、こうして自由に自分のやることに取り組むことができて、それはそれでありがたいけれど、休日の「ぐでぇ〜」と気がぬける感じ、最高。
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ここのところ、ずっと自前のサイトの作業をしている。
パッと見たところでの大幅な変更はトップ画像の変更くらいだけど、プロフィールとaboutを1から書き換えたり(まだ下書き中)、ちまちまちまちま…
noteとサイトの住み分けはどうしよう?と考えていて、日々のことはこっちへ、それ以外の記事やおすすめの作品紹介などをサイトで…?などなど、常に考える毎日。
日々のことをnoteに書いていくと、わたしのことだから、それだけで満足してしまいそうな気もする。でも、長く続けてきた場所で、1番読んでくださる方が多いのはnoteだから、いい塩梅を見つけられたらいいのだけど。
若いころは自覚がなかったけれど、どうやらわたしは、延々1人でああでもないこうでもないと、地味な作業をやることがさほど苦ではないらしい。
こうしたら→こうなった(ほお〜)
ああしてみたら→そうなった(へえ〜)
と、色々試しつつやっている。
若い頃は「わたしという人間はこう!」という確固たるものを持っていたのだけど、39歳の今では「一言では言い表せないなぁ」。
どうして今よりも経験が少ない若い頃の方が、あんなに確固たるものがあったのだろうか?と考えると、経験の少なさゆえに、そうなっていた部分があったのかな。
40年近く生きていると、物事は何でも白黒はっきりつけられるわけじゃないし、人の生き方も千差万別で、あえて触れない方が良い部分だってお互いに持っているとわかってくる。
あの頃みたいに、「わたしはこう!」とか、「0か100か」なんて風に割り切れない。
だから、おお、わたしは意外とこんな作業が苦にならないんだな、でも昔は平気でやっていたように感じるあんなことはもうやりたくないんだなあ…なんて発見があると、やっぱり決めつけすぎずに生きるほうが楽しいと思うのでした。
そんな3連休明けのつれづれでした。
✳︎サイトはこちらです(日々あちこち小さく変更されていきます)
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