6年半息子と一緒に生きてきて、わたしはすっかり「お母さん」になっていたみたいだ。
昨日かなり落ちていたメンタル、今朝起きたら割と平常な状態に戻っていた。
わたしはこの疲れや落ち込みは、日々の細々したことの積み重ねと、新年度への不安が原因だとずっと思っていたのだけど…
実は根底にあった「とある気持ち」に気づいていなかったと、今朝突然気づいた。
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我が家は親子3人川の字で寝ていて、真ん中にいる息子はその日によって、旦那さんの布団に潜り込んだり、わたしの布団に突撃してきたりする。
今朝は久しぶりにわたしの布団にいて(旦那さんの残業が続くと、日中一緒にいられないからか、彼の布団に入りがち)、もう何年も眺めている寝顔を「眠い。起きたくない…」と思いながらぼんやり眺めてた。
その時に、唐突に湧き上がってきた想い。
「さみしい」
note初期の頃よく書いていたけれど、わたしは産後の精神的な落ち込みがとてもひどく、息子が生後半年くらいになるまで、子育てがとにかく苦しかった。
毎日何度も何度も授乳して、夜中も3時間起きに授乳して、帝王切開のお腹の傷が痛もうが、眠気で倒れそうになろうが、毎日必死に育てていたあの頃。
苦しくて苦しくて。早く楽になりたい。早く大きくなってほしい…
身体的なしんどさだけじゃなく、「自由な時間がない」「わたしの人生なのに、わたしのものじゃないみたい」というやり場のない気持ち。
目の前の子どものかわいさを感じる余裕は全くなく、世界が比喩じゃなく、グレーがかって見えた。
わたしの人生が、この先、またみずみずしく明るいものになるなんて、これっぽっちも想像できなかった。
そんな暗黒時代を過ごしたものだから、どこかで「わたしは子どもが大きくなることへ抵抗なんて持たない」と思っていた。
周りのママたちが、「こんなにはやく大きくならんでいいのに…!」と話しているのを聞いてもピンと来なかったのに、その気持ちが今ならわかる。
今朝、ぴょんぴょんにはねた寝癖の息子を見て、本当にさみしいなあと思ったのだ。
ああ、こうしてどんどん手が離れていくんだな。
いつも手をつないでどこでも行ってたけど、それも終わりが近づいてきたな。
絵本を一緒に読んで、いつも良いリアクションをしてくれるけど、それもいつかは終わるんだな。
ママが1番好き!と言ってくれるのも、あと何年だろうな…
ああ、このまま止まってくれたらいいのに。
小さいままでいてくれたらいいのに。
(と、ここで突然涙が出てきたので、一旦休憩しました)
産後苦しくて、子育てに全く前向きになれていなかったあの時から、自分は変わっていないと思っていた。
けれど、6年半息子と一緒に生きてきて、わたしはすっかり「お母さん」になっていたみたいだ。
「さみしい」という気持ちを自分が持っていたことが、ちょっと嬉しい。
あの頃は「わたしは異常なんだ」「母親としておかしい」「こんな親の元に生まれてきて、この子は本当にかわいそうだ」とずっと思っていたから。
子どもの成長は嬉しい。でもさみしい。いつまでも小さいままでいてほしい。でもそれは無理だと頭では理解してる…そんな矛盾を抱えた、普通のお母さんに、いつの間にかなっていたんだなぁ。
いつかは旦那さんのように、家を出て、自分のパートナーと居場所を築いていくんだろうね。寝顔を見るどころか、顔を見る機会も年に数回とかになって、その頃にはわたしは物理的に自由な時間をもっと持っているんだろう。
あーー!!よくぞここまで育ってくれた!
そう言って自分の残りの人生を楽しめるように、今からちょっとずつ手を離していく。
さみしいなあ…という気持ちは何も悪いことではないのだから、いつか来る自立の時を楽しみにする気持ちと同居させておけばいいんだ。どっちもある。それでいい。
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