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ペルーのシャーマンと 植物から知恵を得る儀式 ディエタ 〜⑤〜



5日目の朝はスコールのような雨が降った。
私はアヤワスカセレモニーが行われるマロカから、自分の小屋に走って帰った。

今日で5日目だ、あと5日で私は何かを得られるんだろうか、、。
小屋に戻った瞬間とてつもない不安に襲われた。

ボビサナのドリンクをもらいに昼頃
集いの場所へ向かった。

ボビサナは水で薄めた少し苦めのジュースみたいな味。

ドリンクを飲み干し、小屋へ戻る。
私は赤ちゃんの頃から便秘症なのだが
アヤワスカの翌日は必ず出る。

小屋の周りには小さな猿たちが遊んでいる。
木から木へとジャンプする遊びを楽しそうにしていた。

ここに滞在していると、騒がしい日本での暮らしが馬鹿馬鹿しく思えた。
何で私たちは一生懸命になって働いているんだろうとか、
豊かさとはお金ではない、この森そのものだと感じていた。


そしてまた夜が来た、

そのたびに沢山の夢を見る。


和歌山県のとある洞窟にいて、仏像がたくさんあった。海に落ちそうになった車。
過去スペインの島で恋に落ちた彼。

そして夢から目覚め、また朝が来る。


今日は6日目、3回目のアヤワスカが夜に控えている。


私はジャーナリングを書きながら思っていた、私のアヤワスカってナスD状態じゃん。、


ナスDの気持ちが今ならわかる、、

そうこうしている間にお昼になった。
外へ出ていると青い手のひらサイズの
今まで見たことないくらい綺麗な蝶々を見た🦋


ファシリテーターのブラスが私の様子をチェックしに小屋へやってきた。

私はハンモックで寝ていた。

いつも寝てるから寝るの好きだねって笑ってた。笑


セレモニーのことを話したり、ビジョンについて語った。

私は体にアヤワスカが浸透する前に吐いてしまうから、今回は少し吐くのを我慢してみてとアドバイスをもらった。

そして"あと2回で時間ないから、今日はフルドース(目盛いっぱいのアヤワスカ)にするから、、"と。

今まで違ったんかい!とツッコみたくなったが、そこは我慢した。笑

"observe, breathe 観察して呼吸する"
これはセレモニー中の決まり文句のように言われる。


徐々に日が暮れて来た。
今日で青い蝶々を4匹見た。

餌目当てでやってくるチャチャという茶色のデカい犬に昼食の残りをあげたら物凄く喜んでいた。

今日はビジョン見れるだろうか、、。


3回目のアヤワスカ

夜になりマロカへ向かい、夜8時頃
3回目のアヤワスカセレモニーが始まった。

フルドースを飲み切った。

吐くのを我慢してジッと耐えてみた。
すると、柄が見え始め体の感覚が消えていく。

アヤワスカの魂のつる、
DNA、宇宙のエネルギー(シピボ族はクヌと呼ぶ)のデザインが目を閉じても
目を開けても見えている。


シャーマンのマチルダやフランシスコが1人ずつにイカロを歌っていく。

イカロが終わると、その柄は消えた。

気持ち悪さは3回に分けて起きた。
(サイケデリックの植物は波のように来るのが特徴的だ。)

その波がくるたび、柄ぽいものが見える。
それでもビジョンというものは見えなかった。

私は精霊たちから見放されたか、それとも見ないように何かが私を守っているのか、
ペルーから帰国してこの体験をどう話そうか悩んだ。

隣の人もビジョンは見えてなさそうだし、
見えない人は見なくていいということかもしれない。
私はディエタをしに来た意味があったのだろうか。

自分の傲慢さをヒシヒシと感じていた。


そうこうしている間に、また朝を迎えた。


7日目の朝だ。


アヤワスカを3度終えて、自然派な私はなぜだか都会が恋しくなっていた。
ベジタリアンだったのに肉が食べたくなっていた。動物のように生きたくなっていた。

二つの世界を肯定しているようだった。

そして私の中で、私はこれでいいんだと何だか腑に落ちていた。

このディエタを後悔する必要もない。
私は私でいいと改めて気付けたのだから。

もっと気楽に考えよう。
好きなことはしていいし、嫌いなことはしなくていい。


私はマロカから自分の小屋に戻った。


味気ないスープを飲みながら、マックのポテトが食べたいなぁと煩悩だらけになってしまっていた。近代の生活に戻りたい、、、。


ディエタの目的は精霊から知恵を授かるはずが分からなくなった。何もないように感じて帰りたくなった。

今日も夜が来る、少し離れた村からケチュアのような音楽が流れてくる。
それを聴いて夜は過ごした。

ぺっこんぺっこんと変な鳥が鳴いている。

夜中に考えていたのは元カレたち、みんな別れるべきして別れたんだろうなと再度感じていた。

参加者のスタブは美人な白人だ。
彼女たちと会うたびにアジア人の私は劣っていると感じる自分に気づいていた。

チーターと猫は比べられないのに、
猫はみんな可愛いのに。
私は人間で違う種類で、比べることは無意味だし、しょうがないじゃないか、、
そういう気持ちになった。

過去をリリース、手放すとは
記憶を忘れることではない。
記憶があるから今を生きれる

そういう想いも湧いて来た。

普段の日常を楽しめる人間になりたい。

どこからか笛が鳴る。温かい笛の音色、
どこか懐かしくもある。

そして7日目の夜も真っ暗なジャングルで1人眠りについた。



つづく


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