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あの日、私は日本にいませんでした。

仕事でジュネーブからフランクフルトに移動し、ホテルで目を覚ましたところでした。

部下から電話があり、「日本が大変なことに!」と尋常じゃない声が耳に飛び込んできて、これは、よくある仕事のトラブル話ではないことは、容易に想像できました。

急いでロビーに降り、テレビのある所へ行きました。BBCニュースが写し出されていた光景は、不謹慎ですが、映画でしか観ないような迫力のショッキングな映像でした。

先ずは、家族のいるイタリアに電話をかけ、状況を説明、日本に連絡を取るように指示して、オッフェンバッハの会社に向かいました。

会社というところは、モニターはたくさんありますが、テレビチューナーを内蔵しているものは少なく、いろいろ探してもらい、大きな会議室のものがそれだとわかりました。

その会議室の大きなスクリーンにBBCを流し放っぱなししてもらい、誰もが観れるようにしてもらいました。

そして、次に日本から欧州への出張者の確認を指示、その人達の日本帰国便や日本の家族の情報など、様々な情報が集められ、判断が必要なものは然るべき判断ができるように対策本部的なものを立ち上げ、テレビで見たようなホワイトボードでそれらを見える化していきました。

ドイツ以外にも、会社の拠点がありましたがドイツは欧州全体の取りまとめ的な存在でした。
私自身はイタリアの拠点責任者でありましたが、ドイツではサブ的な役割は担わなくてはなりませんでした。でも、だからそうしたのでもなく、気がつけば、そういう行動を取っていました。

今、思えば、そういう時のシミュレーションがされていなかったという不備かもしれませんが、想定外の時にこそ、その時なり、その場所なり、その状況なりの自分なりの判断ができるチカラを身につけることの方が大事だなと思いました。

始めは日本への電話連絡も取れる回線がありましたが、徐々に繋がらなくなり、欧州のテレビニュースからの情報だけでは、全くもって不足で、心配が膨らむばかりでした。

そのうち、NHKがインターネットでニュースを流すようになりました。日本ではあまり感じませんが、海外にいるとNHKに感謝することが多いです。

欧州勤務者の中には単身赴任している人も多く、その人たちも家族や親族の状況が分からず、不安でたまらなかったと思います。

あの日から11年、我が家も日本に戻って10年が経ちました。その頃には想像できなかった事が世の中に襲いかかっています。

どんな状況でも、自分や身の周りの人と協力して、その場なりの最善策を考えられるように、いつも備えていたいと思います。

亡くなった多くの命が、安らかでありますように。

2022年3月11日
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Chinpan S

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