古今集巻第十七 雑歌上 868番
めのおとうとをもて侍りける人に、うへのきぬをおくるとて、よみてやりける
なりひらの朝臣
紫の色こき時はめもはるに野なる草木ぞわかれざりける
女の弟を持て侍りける人に、上の衣を送るとて、詠みて遣りける
業平の朝臣
紫の色濃き時は目も遥に野なる草木ぞ分かれざりける
私の妻の妹を妻としている人に、上着の袍を送ろうと思って、詠んで届けた歌
在原業平
紫草の色が濃い時は目にも遥かに見渡せて、野にある草木を見分けることはできないものだ
意味がよくわかりませんが、
「紫の色濃き」は、「自分の妻への愛情がしっかりある」こと、
「目も遥(に見渡せて)」は、「妻の妹やその夫のことも気にかけてやれる」、
「野なる草木ぞわかれざりける」は、「誰がどうなどと分け隔てはない」、
と言う意味のようです。
「めのおとうと」は、「め」は妻、「おとうと」は、姉妹の妹または、兄弟の弟。ここでは、妻の妹のことです。
「わかれざりける」は、
区別する意味の動詞「わく」の未然形「わか」
+可能の助動詞「る」の未然形「れ」
+否定の助動詞「ず」の連用形「ざり」
+詠嘆の助動詞「けり」の終止形
で、「分け隔てすることができないなあ」の意。
この歌は伊勢物語第41段に載っています。事情はこちらの方がわかりやすいです。最後の「武蔵野の心」は868番の歌のことのようで、紫草が一本あると武蔵野の草は全部好きだと言う、この歌と同じことを歌ったものです。伊勢物語が書かれた時に、すでに武蔵野の歌は有名であったのでしょう。
伊勢物語第41段に
昔、女はらから二人ありけり。一人はいやしきをとこの貧しき、一人はあてなるをとこ持たりけり。いやしきをとこ持たる、十二月のつごもりに、うへのきぬを洗ひて、手づから張りけり。心ざしはいたしけれど、さるいやしき業もならはざりければ、うへのきぬの肩を張り破りてけり。せむ方もなくて、ただ泣きに泣きけり。これを、かのあてなるをとこ聞きて、いと心苦しかりければ、いと清らなる緑衫のうへのきぬを見出でてやるとて、
紫の色濃き時はめもはるに野なる草木ぞ別れざりける
武蔵野の心なるべし。
武蔵野の歌