古今集巻第十七 雑歌上 903番
おなじ御時のうへのさぶらひにて、をのこどもにおほみきたまひて、おほみあそびありけるついでに、つかうまつれる
としゆきの朝臣
おいぬとてなどかわが身をせめぎけむおいずはけふにあはましものか
同じ御時の上の侍にて、男共に御神酒給ひて、大御遊び有りける序に、仕う奉れる
敏行朝臣
老いぬとて、などか我が身を責ぎけむ、老いずは今日に会はまし物か
(前の歌と)同じ寛平の御時に殿上の間で、殿上人に御神酒を賜り、管絃の遊びがあった時に、奉った歌
藤原敏行
老いてしまったと言って、どうして我が身を責めましょうか、こうして老いなかったら今日の素晴らしい宴に出会えなかったでしょう
「うへのさぶらひ(上の侍)」は、内裏の中の控えの間、御神酒は天皇がお飲みになるお酒、これを皆が賜わります。大御遊びは、天皇がお開きになる宴で、通常は管弦の遊び、琵琶や琴、笛が演奏されます。
それなりの地位の人はこういう時に、和歌を詠んで奉ります。自分は老いたが、長生きして良かった、こんな素晴らしい宴に加えて頂いて光栄だ、という歌です。
天皇がお出ましになり行事が行われるのは、本来は大内裏の正面の大極殿ですが、平安時代には内裏の中の紫宸殿になり、さらに清涼殿(紫宸殿の北西側)になったそうです。清涼殿で日常過ごされ、臣下は東側の廊下にやってきて奏上するようです。この変化は、外国の使節は来ないので大袈裟に見せる必要がなくなったことなどが理由と思います。広すぎるので面倒になったのかもしれません。
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