昔のゲームと今のゲーム(1)どっちが面白い?
ゲーム方面で不毛な議論と言えば「任天堂vsソニー」が代表的だが、もうひとつ「昔のゲームvs今のゲーム」というのもある。
例によって、私はこれを対立構造として語りたくない。
ゲームがどう変わったか?を語るのは楽しいが、どちらの勝ちか?なんてことを語ることに意味はない。勝ち負けを語るのであれば、「何において」かという条件が必要であり、結局のところそれはゲームはどう変わったかを語るのと同じことである。
私はファミコンどころかゲーム&ウォッチ、いや、さらにその前の『スペースインベーダー』や『PONG』から初めて、今なおSwitchやPS4でゲームをしているそこそこのゲーマーである。
「Youtubeで見たことがある」のではなく、生でレトロゲームから最新のゲームまで体験してきた身として、ゲームは何が変わったかを語りたい。
んで、昔と今でゲームの何が変わったかというと、プレイヤー側としては使う脳が変わったのである。
インターフェース
例えば、『ブロック崩し』や『PONG』で操作するインターフェース(入力方式)はアナログレバーひとつだった。インベーダーでは左右2方向レバーにボタン1つ。ファミコンは4方向十字キーにボタン2つ+SELECT+START。スーパーファミコンになると正面に2つ、背面に2つ追加される。ニンテンドー64ではアナログスティックにさらにZボタン……現在のPS4ではもう数えるのが面倒くさいほどボタンがある。
プレイヤーはまず、「このゲームにおいてどのボタンがどんな役割をするか」を覚えてなくてはいけないのだ。当然ながらこの時点で使う脳が違ってくる。
が、一方でゲームは難しくなったのか?というとそう単純な話でもなくて、今は随時チュートリアルが表示されるのが普通であまり迷うことがない。ただ、アクションゲームにおいては「体で覚える」までに多少の時間は要する。
また、ジャイロセンサーやモーションセンサーなどの登場で、操作法の基本的な部分が高度にアナログ化されたゲームも多い。
さて、この記事で書きたいのは、「ゲームの変化によって脳の使い方はどう変わったか」なのだが、インターフェースの進化はさほど大きな要素とは思っていない。少なくとも以下に書く、ゲームの本質的な部分の変化の方がはるかに大きいと思っている。
アドベンチャーゲームというジャンル
例えば、「アドベンチャーゲーム」という今ではほぼ絶滅してしまったようなゲームジャンルが昔はあった。これは広義の「アドベンチャー」ではなく、テキストベースで話を進めて行く、「アドベンチャーブックをそのまま電子化したようなゲーム」のことである。その代表が『ポートピア連続殺人事件』であり、若い人でもタイトルは聞いたことがあるだろう。
一般によく知られているのはファミコン版だが、それ以前に発売されたパソコン版はファミコン版とは大きく違っている点があり、それが「コマンド手入力」という方式である。
ファミコン版だと表示されるコマンドから選択すれば良かったが、パソコン版は「いけ」「しらべろ」など自分で入力する必要があった。しかもそのリストは公開されておらず、どんな単語を受け付けてくれるかもわからない。
コマンド手打ち式はそれまでのアドベンチャーゲームにおいてスタンダードであり、『ポートピア』はまだ親切な方だったが、中にはかなり意地悪なものもあった。
プレイヤーは作り手のセンスに共感しながらコマンドそのものを探す必要があり、それも含めてのゲーム性であった。
ファミコンにおいては手打ちしようにもキーボードがないためにできず、仕方なしに堀井雄二が開発したのが「コマンド選択式」だったというわけだ。結果、アドベンチャーゲームというジャンルは遊びやすくなったものの、「コマンド探し」というメタ的要素は以降なくなってしまうことになる。
これが小さな変化だとすれば、「アドベンチャーゲームそのものがなくなってしまった」ことは大きな変化だ。会話のシーンなどにその名残はあるものの、静止画+コマンド選択だけでストーリーを楽しむゲームはほとんどない。エロゲーではそのインターフェースだけは残っているものの、趣旨としてはアドベンチャーゲームとは言い難いだろう。
シューティングゲーム
シューティングゲームも絶滅危惧ジャンルだ。
子供たち数人にSwitchのリバイバル作品である古の超名作シューティングゲーム『R・TYPE』をやらせてみたら、まあ驚くほどヘタッピで、1面をクリアするのに1時間近くかかったか。
それもそうかもしれない。
今の子供たちは、こんなガチのシューティングをする機会そのものがないのだ。
『グラディウス』『R・TYPE』といった名作は過去の名作としてプレイしようと思えば格安でできるが、そのお客さんは主として私のようなオッサンどもであって、子供たちは新作のプレイに勤しむ。こういうオッサンが無理やりやらせないと、自分からはしないゲームなのだ。
しかしながら、子供たちは夢中になった。そのプレイ感覚は逆に新鮮であり、またR・TYPEが非常によく出来たゲームということもあって、やられてもやられても「まだやる!」とコントローラを離さなかったのである。
《続きます》
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