シュメール神話集成帯

親切にされたら〈負い目〉に感じてしまう、男というめんどくさい動物──「ギルガメシュとアッガ」(尾崎亨訳、杉勇+尾崎亨編『シュメール神話集成』所収、ちくま学芸文庫)

 親切にされると、その恩義を重荷に感じてしまうところがありませんか?
 僕はありましたね。若くてイキってたころにはありました。
 大人になってからも、とくに同性に親切にされると、素直に受け取れないというか、受け取っちゃうんだけど、どこかそれを借金のように感じてしまう時期がありました。

 これ、とくに若い時期の男だけですかね?

 これから世界の〈文學〉を読んでいく。それから「〈文學〉についての本」も読んでいく。このnoteの「まえがき」的な記事はこちら。

 最初に読むのは、古代メソポタミアの「ギルガメシュとアッガ」。杉勇+尾崎亨訳『シュメール神話集成』(ちくま学芸文庫)。

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「ギルガメシュとアッガ」

 この本には神話文学だけでなく、歴史・伝説に取材した叙事詩も存在している。「ギルガメシュとアッガ」がそれです。
 ギルガメシュ(𒄑𒂆𒈦,  Gilgameš、あるいはビルガメシュ)は紀元前2600年ごろの伝説化された王。シュメール初期、ウルク(シュメール南部)第1王朝5代目の王だ。

 ギルガメシュは、かつての恩人であるキシュ(シュメール北部)のアッガ(Agga, Aga, Akka)王からの賦役要請を拒む。
 文庫版解説で、ジェイコブセン(デンマーク出身のアッシリア史家トーキル・ヤコブセン)の説として、つぎのような読みが紹介されている。

ギルガメシュは何故アッガに屈服することを拒んだのか。それは結末部が暗示しているように、昔彼が亡命者となったとき、アッガは彼を暖く庇護したことがあったが、そして、アッガはギルガメシュをウルクの王に就けたのだが、英雄ギルガメシュの自負心にはそれが負い目になっていた。それをとり払うには、主君アッガが臣下の町に課してきた賦役を拒否して、武力で王に打ち勝つしかない。それが両者の戦いの原因である〔…〕〔「解説」268頁〕

 さてこのあと、「ギルガメシュとアッガ」ではアッガ王が軍を差し向け、ギルガメシュは苦戦するが、将校ギリシュフルトゥルの陽動作戦によって難局を突破し、アッガ王を捕らえる。
 そのあとの展開が、今回読み直してみて意外だった。ギルガメシュはアッガ王に旧恩を謝して、彼を解放するのだ。

ギルガメシュはアッガを釈放した。これで彼のアッガに対する心理的負い目は解消したのである。〔「解説」269頁〕

 恩を施された経験を〈負い目〉として感じてしまう男という動物のめんどくささが、こんな古い文学作品にもきちんと記述されているんだなあ。

 ギルガメシュにまつわるシュメール英雄詩は5作ほど見つかっているらしい。
 他の4つが完全に空想的な英雄神話であるのにたいして、この「ギルガメシュとアッガ」はある程度史実をもとにしているという。
 残りの4つは、のちのアッカド版『ギルガメシュ叙事詩』の素材となった。でもこのアッガ王との対決のネタはそこには採用されていない。

『シュメール神話集成』という本

 『シュメール神話集成』(ちくま学芸文庫)という本は、《筑摩世界文学大系》第1巻『古代オリエント集』(杉勇+三笠宮崇仁編、筑摩書房)冒頭の「シュメール」の部を文庫化したもの。



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 本書には15篇の文学作品と、E・I・ゴードンが集めたものから選んだ「シュメールの格言と諺」の、計16タイトルが収録されている。

 文庫版解説は無記名だが、本書の訳者としてクレジットされたふたりのうち杉勇は、ちくま学芸文庫というレーベルの創刊以前に亡くなっているので、尾崎亨によるものだろう。ちなみに尾崎亨は《筑摩世界文学大系》版では旧姓で五味亨名義だった。他の収録作についてもちょっとだけ書く。

「人間の創造」

 アッシュール遺跡の粘土書板より。古バビロニア期(紀元前1900?-1700?)のものか。
 天地創造に続いて、チグリス川とユーフラテス川が作られる。多神教であり、天界で神々が合議のすえに人類を創造した。

二柱のラムガ神を殺して
彼らの血でもって人間を造るのです。〔25-26行、尾崎訳、10頁〕

 なぜ彼らが殺されるのかは不明だ。
 古代オリエント神話はギリシア・ローマ神話とも『創世記』とも結びつきが強いけれど、のちのユダヤ教における神と人との隔絶は感じられない。

 神を殺してその血で人間を造るというのはギリシア神話にもない発想だ。


「農牧のはじまり」

 地と水の神エンキと大気の神エンリルが小屋を作り、家畜を作り出す。穀物神アシュナンが田畑を増やす。それ以前のなにもない状態の記述ともども、『創世記』を先取りしている。

「イナンナの冥界下り」

 地母神イナンナは金星の神格化とされ、セム神話のイシュタル、ギリシア神話のアプロディテ、ローマ神話のウェヌスに相当する。
 理由はわからないが、彼女は姉エレシュキガルが支配する冥界に下り、死体となる。エンキの分身ふたりによって助けられるが、冥界に身代わりを置く必要がある。
 生還したイナンナは夫ドゥムジ(セム神話のタンムズ、ギリシア神話のアドニスに類縁する)の姿を見て、彼を身代わりに冥界に置いていくことにする。

このマガジンでは「補助線本」も読んでみます

 ところで、古代オリエント文学のような翻訳書は、欠けの多い書板を厳密に訳して学術的な正確さを求めたものだ。校訂者や訳者がつけてくれた註は助けになるが、その註を読んでいくのが煩瑣なときだってある。
 だからこれを「本文」(テクスト)としてではなく「お話」(ナラティヴ)として読もうとすると、なかなか読みにくい。

 前述のとおり、これ以降のnote記事では、そういうときの助けになる「補助線本」も、〈文學〉作品と同等に取り上げていきたい。補助線じゃない本は存在しないのだから。

今回取り上げた本

 杉勇+尾崎亨訳『シュメール神話集成』ちくま学芸文庫、2015。
収録作 :
人間の創造
農牧のはじまり(杉勇訳。これ以外は尾崎亨訳)
洪水伝説
エンキとニンフルサグ
イナンナの冥界下り
ギルガメシュとアッガ
ドゥムジとエンキムドゥ
ウルの滅亡哀歌
イナンナ女神の歌
ババ女神讃歌
シュルギ王讃歌
グデアの神殿讃歌
ダム挽歌
悪霊に対する呪文
ナンナル神に対する「手をあげる」祈祷文
シュメールの格言と諺

(つづく)

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