イーリアス_旧_全

奇怪に見える日本語、でもそれが強烈──ホメロス『イーリアス』下巻(呉茂一訳、平凡社ライブラリー)

 こちらの続き。

たばかられたゼウス

 イリオス(トロイア)王子ヘクトル(以下、特定の翻訳書名などを除き、長音を省略する)がアカイア(ギリシア連合軍)の軍船に攻撃をかけたそのとき、主神ゼウスの隙をつくように海神ポセイドンがギリシア軍に加勢、大アイアスとヘクトルがふたたび向かい合う。
 ゼウスの妻で結婚の女神であるヘラと、美神アプロディテとは、眠りの神の力を借りてゼウスを眠らせ、ポセイドンはギリシア連合軍に肩入れする。ヘクトルは傷を負う。

イーリアス2

 目覚めたゼウスはヘクトルの治療を太陽神アポロンに命じ、ポセイドンに手を引かせる。ヘクトルは戦線に戻り、アカイアの軍船に火を放つ。
 これで気が済んだゼウスはこれ以上の手助けをせず、ギリシア連合軍の勝利を容認する。

名場面、パトロクロスの囮出陣

 臍を曲げていまだ出陣を拒否するギリシアの英雄アキレウスに、親友パトロクロスは出陣を要請するが、アキレウスは自船に戦火が及ぶまでは動かないと言う。
 パトロクロスはアキレウスの甲冑を借り、彼が戦線に戻ったと敵方に思わせることにする。アキレウスに扮したパトロクロスは敵を追い散らすが(ここはじつに勇ましい)、アポロンの介入で弱体化し、ヘクトルによって殺され、武具ごと死体を奪われる。両軍はパトロクロスの亡骸をめぐって戦う。

アキレウスの嘆き

 友人の死を嘆くアキレウスの前に、母であるテティス女神があらわれる。アキレウスはヘクトルを討つ決意を表明し、母は明朝に武具を届けると約束する。
 アテナ女神に守られたアキレウスが戦場に姿をあらわすと、混乱したトロイア軍の隙をついてギリシア連合軍はパトロクロスの体を奪還する。

 翌朝、テティスは鍛冶の神ヘパイストスの仕事場から新しい甲冑を持ってくる。
 それを身に着けたアキレウスはアガメムノンと(ようやく)和解するが、彼の乗る馬クサントスの口から、アキレウスの死を予言するヘラの言葉が出てくる(しかしアキレウスの死は『イリアス』ではなく、ミレトスのアルクティノス作『アイティオピス』[紀元前8-7世紀]ならびにスミュルナのコイントス(クィントゥス)によって『イリアス』続篇として書かれた『トロイア戦記』[紀元後4世紀後半? 松田治訳、講談社学術文庫]で語られる)。


トロイア戦記

神々の乱入とアキレウスの仇討

 このあとの戦場はヘラ、ヘパイストス、アポロンなどが介入し、神と人とが入り乱れて荒れ狂う。半神(ἥρως=英雄)とはいえ死すべき人間サイドであるアキレウスが川の神に逆らうなど、乱れに乱れる。

 ついで、新品の甲冑をつけたアキレウスと、パトロクロスの遺骸から奪ったの甲冑をつけたヘクトルの一騎打ちが、クライマックスとしてこれに続く。

 ヘクトルはアキレウスを待ち構えていたものの、当人を前に怖気づき、城壁の周囲をぐるぐる3周逃げ回るのだが、不思議なことにこの部分を読んでも、ヘクトルが臆病者には思えない。むしろここに戦いの説得力が感じられて、すごくカッコいい。
 ヘクトルを殺したアキレウスが、なお相手を許せず、戦車で死体を船まで引きずっていくのも凄まじい。

涙、涙の結末

 アキレウスの夢枕に亡友パトロクロスの霊が立ち火葬を求める。彼は友の遺骸を荼毘に付し、追悼の競技をおこなった。
 競技会終了後もアキレウスはヘクトルの遺体を引きずり回し続ける。

 ヘクトルの老父であるトロイア王プリアモスが贈物を携えてじきじきにアキレウスを訪れ、息子の遺体の返還を請う。アキレウスはプリアモスを礼儀正しく迎え、遺体を返す。敵味方を超えて悲しみを共有するふたりの、これまた名場面だ。そして『イリアス』の掉尾を飾るのはヘクトールの葬儀。

 この作品では、戦争はまだ終わらない。この続きは、スミュルナのコイントス(クィントゥス)の『トロイア戦記』で。

松平訳がおすすめだけど、あえて呉訳のことを書く

 平凡社ライブラリー版『イーリアス』は、呉茂一が1953年から58年までかけて刊行した旧岩波文庫版(全3冊)1964年改訂版を2冊に再編集したものだ。

イーリアス(旧)全

 『イリアス』をはじめて読むなら、松平千秋の新訳(といっても出たのは1992年)による岩波文庫(全2冊)が安全だ。とにかく読みやすいし、じゅうぶんに堪能できる。

イリアス2

 それでも、個人的な感慨から、ここでは呉茂一訳を取り上げたい。その理由は、のちほど触れることにする。

 僕は『イリアス』の呉茂一訳を、最初は《筑摩世界文学大系》第2巻『ホメーロス』(1971)で読んだ。

筑摩世界文学大系2ホメーロス

 これは同じ筑摩の《世界古典文学全集》第1巻『ホメーロス』と同じ(か、ほぼ同じ)訳で、「散文訳」と言われる、叙事詩の詩行の改行がない、小説のように読める形式のものだった(松平訳もこれは同様)。

世界古典文学全集2ホメーロス

 けれど、その呉茂一訳の日本語は、当時の僕にはじつに奇怪に見えた。
 西洋・東洋の古典の教養が(いまもあまりないが当時は)まったくなかった18歳の僕は、その訳が、古い言葉の雰囲気を出そうとしていることだけはわかったが、それにしても奇怪だった。

 その奇怪さは、訳者・呉氏のチョイスによるものもあったし、それとはべつに叙事詩というものが持つ、繰り返しや列挙、枕詞的な定型表現の連打によるものもあった。
 当時の僕は、叙事詩というものを(翻訳とはいえ)読むのがそもそもはじめてだったのだ。

 とはいえ、同じ巻に収録された『オデュッセイア』の高津春繁訳には、そこまでの奇怪さがなかったから、やはり『イリアス』呉訳の日本語の奇怪さは、訳者による日本語のチョイスによるものが大きかったのではないか。

呉茂一訳も筑摩版と旧岩波版(=平凡社ライブラリー版)は大きく異る

 ところでその《世界古典文学全集》《筑摩世界文学大系》版の呉訳は、同じ呉茂一が1953年から58年までかけて刊行した旧岩波文庫版(全3冊、《世界古典文学全集》と同じ1964年に改訂)をもとにしていながら、まったくべつのものになっていた。

 ひとつは、もとの旧岩波文庫版は「韻文訳」と言われる、改行をした訳だということだが、もうひとつは、日本語のチョイスがもっと詩だったということだ。「奇怪な日本語だ」と思った筑摩版は、あれでもマイルドにしていたものだったのだ。
 旧岩波文庫版の復刻である平凡社ライブラリー版の下巻に収録された沓掛良彦さんの解説に曰く、

呉氏がホメロス翻訳において実践したのは、行分けを行って訳詩を可能な限り原詩の詩行に一致させた上で、しかもそれぞれの行に律動性を持たせるという至難の業であった。〔605頁〕

 とはいえ、岩波文庫旧版の(つまり、この平凡社ライブラリー版の)日本語は詩行ごとに改行をしていて、「詩ですよ」というのが目に見えてわかる。
 だから、語法自体の奇怪さはむしろ薄められている。やはり、古雅だったり古拙を狙っていたたりする表現が、改行しないのに出てくる筑摩版が、もっとも奇怪なのかもしれない。

 ホメロス『イーリアス』呉茂一訳、平凡社ライブラリー、下、2003年。訳者あとがき、水谷智洋編「呉茂一年譜」、沓掛良彦による解説「呉茂一氏の『イーリアス』 ホメロス邦訳史の観点から」を附す。
 ホメロス『イリアス』松平千秋訳、岩波文庫、下、1992年。

 Ὅμηρος, Iλιάςの翻訳。下巻は第13歌以降。上巻はこちら

(つづく)

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